連作ショート「行かないでと言えない」第4話
第4話「飛行機雲を見つめていたい」
今日も雲1つない快晴で、洗濯日和だ。滅多にない日曜の公休。
こんな時、接客業のシフト制で働く人間は、日曜日をどう過ごして良いか分からない。
行列も好きではないし、ヴァカンスの過ごし方も違うのだ。
料理、整理整頓、洗濯を、同時進行でこなしていたら、あっという間に日曜公休は、終わる。
今日も、鳳仙花が咲き誇っている。
青空には、ひと筋の飛行機雲。
尾を引いた裾の方は広がって消えて行くけど、先端の飛行機はどんな機種なのだろう。。。
プロペラ機❓ヘリコプター❓セスナ機❓それくらいの軽量な飛行機だ。
そっか。あの時も、飛行機雲を二人で見上げて見つめていたね。
サイパンのミドルロード。
でも、とっても清々しい気分だ。
まっすぐに青空を走る飛行機雲のように、私の意志が未来へと伸びている。
もう、お勤め人は辞めなければ、いけないかもしれない。
つい先日まで、そんな事は微塵も考えていなかった。
私は、自宅で出来る仕事に切り替えるべきかと、思いついたのだ。
確かに、英会話教室や翻訳業は、テレワークの方たちと同じく、生活の中で続けられる。
ただ、語学のスキルはKeeping Onしなくては。
また仕事の事を休日に考えてしまった。自分に苦笑した。
和宴会や会席料理担当の、和服姿のトップ長。それが私の任務。
和服のおもてなしスキルを活かす事が出来、さらにホテルウーマンは働き方やプライヴェートの生活パターンを、柔軟に選べる。
何より、和食のトップ長は【女将さん】になっても世襲ではない。
つまりは、ホテル勤務の【女将さん】は、店長だったり和宴会のトップチーフだから、婚姻の決定は関係ないのだ。
私は代替わりで、跡継ぎとの結婚を拒み、恋人と別れない決断をして、旅館に残る事は出来なくなった。
世襲である事だけがネックだった訳では、ないけど。
その代わり、そのスキルを活かして、ホテル事業の会社で、また直雇用で就業出来たのだ。
常勤の中でも異例なムチャブリ。1年目から和宴会のトップ長に就き、多摩川渡った川崎市に住んでからも、3年以上経っていた。
結納や接待によく使われる〈吉祥の間〉からは、お台場の『地球儀』が見える埠頭の先。
そろそろ畳の貼り替え申請をしたいのだけど、元は東京都所有のビルディングなので、実際に新しいイグサの蒼い香りを嗅ぐのは、1年先かもしれない。
公休ではなく出勤した夜に、心地よい疲れくらいなら、夜中にシンク周りの掃除や、作り置きのおかず保存など、場合によっては部屋の模様替えまでしてしまう。
だから、年末年始に大そうじする必要はないのだ。
だって、ホテルウーマンは、お勤め人のヴァカンスや退勤後に行く場所で、働いている。
『良いお年を』と告げたハシから6時間後には『おはようございます』と、元旦の朝食会場に居たりする。
どうしたって一人暮らしのメンバーがお盆手当や年末年始手当を頂く就業体制だ。
私は率先して、皆が休みたがる日に出勤し、平日に連休を取ってゆっくり過ごす。伸一の生活パターンと年月の繰り返しが似ているから、合わせ易いのだ。
伸一と過ごす時間は、心の余裕から生まれたセンテンスや、散文を書き留めて、後でシナリオ風や小説や歌詞にして、アップデートする。
自活のための仕事は何回か転職するハメに成ってしまったが、文章を書く事と、SKIERでいる事、外国語を使う事は、小学生から続けている。
さらに最近は、映画やドラマの字幕、小説の翻訳など、ポツポツ収入が出来始め、プライヴェートは、男っ気というよりは本来志したプロの文筆家に成るべく、忙しく時間を費やしていた。
そんな折の、日曜の公休。
部屋干しする物以外を、小さな裏庭に造り付けたハンガーパイプに、掛けていく。両サイドには、使い古しのスキー板で、ルーバー目隠しした、柵の塀。
2週間前の平日の夜の事。
撮影の仕事に追われて、連絡する時間さえ作れない、伸一。
勤め人の仕事を辞めそうにない、私 。
業を煮やして伸一は、
「オレ、結婚出来る相手探す❗」
と告げた。
今まで何度となく、危機を乗り越えた自負がある私は、
『もう、いいよ❗』
と、振り切ろうとした。
『だったら、ちゃんとケジメつけといて❗』
と、言おうとしたが言葉にならず、泣きたくもないのに、涙が出てきた。
こういう時、思い切り捨てゼリフ投げつけられたら、どんなにか楽だろう。
だけど、出来なかった。
その場にしゃがみ込んで、何も言えなかった。伸一は、リヴィングでただ黙って立ち尽くしていた。
気の済むまで泣いたら、平手打ちの一発でもしようかと。。。涙が治まるのを待ちながら、考えていた。
「わかった。オレはずっと那美が好きだ。ごめんよ」
近頃には珍しく、謝ってくれた。
私はしゃくり上げをくり返しながら、今は素直になろうと思えた。
「私もずっと好き。行かないで」
初めて言えた。〈行かないで〉と。
嘘でも本当でもある。でも〈ずっと好き〉は、真実。
伸一にだけは素直に言えた。
「ありがとう。また、上手く行くよ。」
私は頷く。
「働き方、変えてくれる❓私も勤めを辞めていいから」
「、、、考えとく」
「もう少し二人の時間、作ってくれる❓」
「大丈夫。伝えてみる」
「仕事、好きな事続けたら、好いの。でも。3年先までスケジュール埋まってるなら、その先の3年後は、開けといて❓二人でこれから、どう暮らして行くか、考えてくれる❓」
「大丈夫だ。折り合いつけるから」
「ずっと一緒に歩いてるんだよ❓途切れ途切れでも」
「ありがとう。泣き止んでくれる❓」
「うん。わかった」
立ち上がる時にふと、ソファの隙間に見つけた、DVD。手に取り、ジャケットを見つめた。
「私これ『見つめていたい』って曲、好きなんや」
「そうなの❓」
「渋谷公会堂の時、アンコールでROOSTERSの花田裕之さんが、アドリブでソロ・ギター弾いてらした」
「よく覚えてるね」
「LIVEは、その日限りの生ものやん。印象深かったよ」
「じゃさ、このDVD、今から観よう」
「うん」
「【START】なんだって」
メイクの崩れ落ちた涙目で、無理やり笑顔を作った。
「〈♪ウイスキィー、ダイスキィー♫〉でしょ❓」
伸一が、私の顔を覗き込む。
私の笑顔は本物に変わり、キッチンへ行く。
「ハイボール、用意するね❓」
伸一はソファで頷く。
このクシャクシャの目がつぶれた笑顔は、一生忘れないゾ❗❓
先週に入って、ホテル事業の会社に願い出る事を決めた。
「そうや!和食店舗の朝食の担当に切り替えてもらおう」
と、思いついたから。
場所柄、宿泊客はビジネスがメインで、ランチタイムは付近の会社員で埋まってしまうが、朝食時間帯は、8割方が外国人宿泊客だ。
中国語と韓国語は担当者が居るが、英語圏担当者が産休に入り、ポルトガル語等のラテン系言語の分かる担当者も、居ないらしい。
私、そっちの方が役に立つかも❗
それから、夕方に英会話教室を開ける準備をしよう。
使える英語を伝えたい。楽しんで覚えて欲しい。
その気持ちのまま、私はECCジュニアの横浜センターで登録と研修の申し込みを開始した。
休憩時間に、竹芝埠頭に出てみた。
なんてことなく、フジサンケイ·グループのあのビルを眺めてみた。
あの地球儀の部分を見つめて、
♪東京にも、あったんだ〜♫
と、口ずさんでいた。
今日はなんだか、好い予感がする。
SKIERの頃は〈幸せ感〉について、永らく悪い予感ばかり浮かべては、打ち消していた。そのくり返し。
アナタだったのね❓本当は。
あのしゃべらない電話も、なぜだか失くした競技スキーの銅メダルも。
楽しみに帰宅したのに無くなっていた、イチゴのショートケーキも。
だとすれば、タクミよりも先に出逢っているのに。
スキー選手デビュー直後の、20代に出逢っているのに。
私達は、恋人同士にはならなかった。付かず離れずで連絡は取るのに、会ってる時間は普通のカップルの10分の1くらいだろう。
そしてハードル乗り越えたインターバルのように、時々お互いが恋心を持ち、時々すれ違っては離れた。
でもなぜだか、Family のような愛着が、最初からずっと在ったのだ。
朝食の担当に代わって数日後。
勤務は朝6時15分からなので、始発の京浜東北線を浜松町駅から、歩いて到着する。
が、今朝は埠頭が何やら賑やか。
あ、今日も撮影やってるんやね。
どんなドラマなのかな。。。
TVドラマ制作スタッフの方達が、ヤジウマが来ないうちに撮影を始めている。
たった2名の俳優のシーンなのに、30名近いスタッフ。エキストラなら京都に住んでいた頃参加した事有ったが、これは時代劇ではなく、エキストラも居ない。
スマホで時刻を視た。まだ5時45分。ちょっとだけ、遠巻きに立ち止まって眺めよう。
いつもは見て見ぬふりな、別世界だけど。
6時になって、鍵の開いてる出入り口から入館しようと歩き始めた。
その時、
「那美❗今日はここだよ❗❗」
と、伸一の声。
手を上げて、スタッフさえ周りを気にするような大きな声で、私を呼んだ。
「はぁ〜い。今から朝食の仕事」
「わかった。あとでね」
「はあい」
私も手を上げて、笑顔で入館。
伸一は、近くに居ても滅多に私に伝えないし、デイトはいつも私か伸一の自宅だ。
でも今日は、部外者のパパラッチや公募エキストラも居ない。決めた事項を事務所にも報告済み。
なので遠慮なく呼んだのかも。
伸一とは、いつも偶然の再会のくり返しだった。
けれど、それが偶然ではなく繋がっていて、会おうとしてくれていたお陰だと、やっと気づいた。
サプライズのからくりは、こんなもの。だけどそこが嬉しい。
伸一だけは、冷めかけたスープを温め直すように〈ずっと好き〉でいられたから、持ち直していた。
恋とか愛とか情熱とかは、無くたって好い。在るつもりだけど。
伸一とは一緒に生きて来たし、これからもずっと一緒。
あの日曜公休に眺めた青空が、すがすがしく思えたのは、ひと筋にまっすぐ伸びる飛行機雲を見て、サイパン島の空を二人で見つめた事、思い出したからかな。
ありがとうね。やっと言えた。
〈行かないで〉と言えた。
ーーー The End.
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