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「シャポシュニコワは、いつも哀しい瞳をしていた」Vol.4

~ラジオドラマ風、ボーダーレスなSTORY~
Vol.4 A reminiscence on the days @川崎 


#創作大賞2023 #恋愛小説部門

VOL.4

 BF義治クンは、フリーランスのアート・クリエイターなため、不定期な活動だ。

 シフト制で働く私ミサキとの二人の仲は、コンスタントに上手く行っていた。だが、義治クンの仕事が軌道に乗り多忙を極めると、今どこで何しているのか、お互いに連絡さえままならなくなって行った。

 そのうち、年下の義治クンの稼ぎが、私の年収に追いつき、追い越して行った。


 私は、フォローに回れる働き方に切り替えようとしたが、義治クンは、今の仕事をセーブしないで続けろ、と促した。

「オレの仕事は不安定で浮き沈みあるから、この先、いつ収入が落ちるか判らない。一時の人気だけかもしれない。
 続けていてくれ!その姿を見てると元気が湧いて来るんだ。ステキだから!大好きでやってる仕事だろ❔」


 義治クンは、空間アーティストとして作品を評価されているというよりは、『個展に行けば会えるイケメン』という存在で人気を得ていた。
 握手や腕組みSHOTを撮ったりや、若い女性ならハイタッチもやってくれる、アーティスト。
 どこに行けば手に入るのか分からない何か、が、いっぱい3ⅮのLIVE的にオブジェ化した空間。そこにイケメンが案内してくれると胸キュン💛しているのは、決まって富裕層のオバサマである。

 だけど義治クンは、こうして知名度が上がって行けば、いづれ、作品自体も様々な層の人達の眼に留まると、信じていた。信じるがゆえ、平日昼間出歩ける主婦で13号あたりの梨莉亜運のワンピースを着た女性に、愛想を振りまいていた。


 もちろんその空間作品だって、アート評論家にも好評だし、不動産会社がアイデアを提携したがっている。
 だが、『作品よりも、本人のルックスが前に出ている』と、初老のアーティスト達に酷評された。

 なので。
『好青年』の殻を破ろうと、ヘアスタイルをソフトモヒカンに変え、モード系ファッションで個展の店頭に立ってみたら、セレブなオバサン達が『イメージとちがう』と、作品の小物さえ買わなくなった。

 私は『ホストを育てる有閑マダムみたいに、独り立ちを淋しがってるのよ』と慰めてみた。
 義治クンは、苦笑いするだけだった。

「いつか、もう働かなくたって生きて行けるくらいお金貯めたら、あいつら老いぼれクリエーターを酷評してやる!!」

 義治クンの低い声で呪詛した言霊は、そのまま彼のモチヴェーションに成ったらしく、再びやる気を盛り返し、今度は若いカップルでもトライできそうな空間アートが、人気を盛り返してくれた。

 私は私で、浜田省吾の「MONEY」を頭の中で繰り返し再生。
 町を出て行った娘だけど、その先に一緒に走る相棒を見つけた!と、将来の光をみつめていたのだった。

 その頃、ある店舗の「店じまい」店長を経験し、完了後1週間の休暇明けに、最短年数でエリアマネージャーに就任した。


2nd Reminiscence on Melancholic Sunset


 絵に描いたような、サンセット・ビーチ。
 独りきりで眺めるのは、とても贅沢だけど、夕陽が沈み切ってしまうまで、見つめていたい。

 義治クンとBIKEタンデムで走った海岸は、こんなもの哀しさは、なかったかもしれない。
 いつも、太陽を背負っているような、男子だった。
 仕事のカオとは違うんだろうけど。

 義治クンが背負った太陽のおかげで、私はいつも、日向をヒマワリのように見つめていられた。
 見上げる首がだるい程、背が高い義治クンだけど。



 もの哀しい。。。って、悲しみが深いのではない。
 メランコリーって云うのかな❓BOSSA NOVAを流す気分と似ていて、穏やかにおセンチに浸っているのだ。

 ただ、もの哀しい。
 何といってつらい事はない。もう、過ぎてった。
 過ぎて行った事を、受け入れた。


 近頃時々、10歳の頃TV番組で観た、体操選手の表彰シーンを、フラッシュバックする。

 ナディア・コマネチ選手が常時金メダルで表彰台の真ん中に立っていた頃、銀・銅メダルはいつだって、ソビエト連邦(現ロシア?)の二人。フィラトワとシャポシュニコワ。

 素直に喜んでいる15歳のフィラトワに対比して、最年少で一番小柄な14歳のシャポシュニコワは、いつも哀しみを湛えた瞳をしていた。

 悲しいわけではないんだと、思う。金メダル獲得できなかった事、責めを負うお国柄かもしれないが、そのせいだけではないだろう。

 もっと、喜んで誇らしく居れば、いいのに。。。
と、私はいつも感じていた。

 偉業な結果を達成するのが当たり前なくらい、本人の努力とスタッフの尽力が、積み上げられていたはずだ。
 だれか著名スポーツ選手が『結果を出す才能は、1%が素質で、あとは開花させるだけの努力が99%だ』と語っていた。

 その表彰台に立つ事は必至で、結論で命題の答えなのだから、証明問題の過程を終えただけなのかもしれない。
 次の目標に眼を凝らしていたのかもしれない。だから、おおげさには感激出来ないのは、分かる。

 分かるんだけど。。。

 あの、もの哀し気な表情を、何度も回想してしまう、この頃。


 関西の実家へ強制送還で戻って、ごく一般的な「フツーの」サラリーマンと結婚していた当時、遅ればせの新婚旅行でこのサイパン島へ初上陸した。
 それが10年前のこと。

 その7日間の滞在中に、元カレつまり、BF義治クンの前に付き合っていた、ほぼ同年代のナツミも、このサイパン島に滞在していた。
 偶然に、仕事の中の撮影で。


 ダイヴィングにジェットスキーに、パラパント、、、マリンスポーツを体験パック・ツアーのごとく詰め込んで、慌ただしく楽しめている旦那は、ほおっておいた。

 一応WinterSportsの元選手だった私から診れば、止めとき!と言いたいほど運動神経は大したことない旦那は、何でも三日坊主だから、ダイジェストで体験するくらいが丁度良いのだろう。。。

 と、独りでビーチサイドのプールの側で、日がな一日寝そべって、BLUE HAWAIIとかのドリンクを味わっていた。
 地元関西での再就職も落ち着いて、ボンヤリできる時間が欲しかったのだ。

 ナツミは専用ビーチが在るホテルに泊まっていたが、ロケハン的にこのロコ・ビーチサイドに来ていた。
 一週間ほぼほぼナツミと過ごしていた。
 日本人は彼らスタッフと、私しか居ない、ローカルな浜。

 静かに。穏やかに。
 元カレと私のハネムーンのように。
 日がな一日、一緒に過ごしたり。ランチだけ待ち合わせしたり。その場所がこの、クヒナさんのダイナーだったのだ。


ーーー to be continued.

ーーー梗概ーーー
 ラジオドラマのシナリオ風に、綴ってみました。サイパン現地での会話は、同時通訳的に和訳も付記しています。
 街中では多言語が氾濫。宗教や民族文化でも、男女間でも年齢や環境でも、個々に多種多様でボーダーレスな社会性。
 現地滞在生活の中で回想を繰り返し、恋愛観結婚観や家族の在り方が嚙み合わない婚姻によって、真実の人生のパートナーを見失っていたと気づく。
 ラストに『謎のMESSAGE』が腑に落ち、永らくの呪縛『シャポシュニコワ』も思い出さなくなっていた。
 二人きりのSWEETS物語ではなく、社会とは切り離せない生活の現実として、読後に何か葛藤や思索が解ければ清々しくって嬉しいです。
                      ーーー 了 ーーー


Vol.1➡ https://note.com/namorada0707/n/nd32fd6393900

Vol.2➡ https://note.com/namorada0707/n/n49eacd3e4506

Vol.3➡ https://note.com/namorada0707/n/n017ed645caa8

Vol.5➡ https://note.com/namorada0707/n/n589900b4fe22

Vol.6➡ https://note.com/namorada0707/n/nb99c3e44241c


 



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