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「シャポシュニコワは、いつも哀しい瞳をしていた」Vol.4
~ラジオドラマ風、ボーダーレスなSTORY~
Vol.4 A reminiscence on the days @川崎
VOL.4
BF義治クンは、フリーランスのアート・クリエイターなため、不定期な活動だ。
シフト制で働く私ミサキとの二人の仲は、コンスタントに上手く行っていた。だが、義治クンの仕事が軌道に乗り多忙を極めると、今どこで何しているのか、お互いに連絡さえままならなくなって行った。
そのうち、年下の義治クンの稼ぎが、私の年収に追いつき、追い越して行った。
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私は、フォローに回れる働き方に切り替えようとしたが、義治クンは、今の仕事をセーブしないで続けろ、と促した。
「オレの仕事は不安定で浮き沈みあるから、この先、いつ収入が落ちるか判らない。一時の人気だけかもしれない。
続けていてくれ!その姿を見てると元気が湧いて来るんだ。ステキだから!大好きでやってる仕事だろ❔」
義治クンは、空間アーティストとして作品を評価されているというよりは、『個展に行けば会えるイケメン』という存在で人気を得ていた。
握手や腕組みSHOTを撮ったりや、若い女性ならハイタッチもやってくれる、アーティスト。
どこに行けば手に入るのか分からない何か、が、いっぱい3ⅮのLIVE的にオブジェ化した空間。そこにイケメンが案内してくれると胸キュン💛しているのは、決まって富裕層のオバサマである。
だけど義治クンは、こうして知名度が上がって行けば、いづれ、作品自体も様々な層の人達の眼に留まると、信じていた。信じるがゆえ、平日昼間出歩ける主婦で13号あたりの梨莉亜運のワンピースを着た女性に、愛想を振りまいていた。
もちろんその空間作品だって、アート評論家にも好評だし、不動産会社がアイデアを提携したがっている。
だが、『作品よりも、本人のルックスが前に出ている』と、初老のアーティスト達に酷評された。
なので。
『好青年』の殻を破ろうと、ヘアスタイルをソフトモヒカンに変え、モード系ファッションで個展の店頭に立ってみたら、セレブなオバサン達が『イメージとちがう』と、作品の小物さえ買わなくなった。
私は『ホストを育てる有閑マダムみたいに、独り立ちを淋しがってるのよ』と慰めてみた。
義治クンは、苦笑いするだけだった。
「いつか、もう働かなくたって生きて行けるくらいお金貯めたら、あいつら老いぼれクリエーターを酷評してやる!!」
義治クンの低い声で呪詛した言霊は、そのまま彼のモチヴェーションに成ったらしく、再びやる気を盛り返し、今度は若いカップルでもトライできそうな空間アートが、人気を盛り返してくれた。
私は私で、浜田省吾の「MONEY」を頭の中で繰り返し再生。
町を出て行った娘だけど、その先に一緒に走る相棒を見つけた!と、将来の光をみつめていたのだった。
その頃、ある店舗の「店じまい」店長を経験し、完了後1週間の休暇明けに、最短年数でエリアマネージャーに就任した。
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絵に描いたような、サンセット・ビーチ。
独りきりで眺めるのは、とても贅沢だけど、夕陽が沈み切ってしまうまで、見つめていたい。
義治クンとBIKEタンデムで走った海岸は、こんなもの哀しさは、なかったかもしれない。
いつも、太陽を背負っているような、男子だった。
仕事のカオとは違うんだろうけど。
義治クンが背負った太陽のおかげで、私はいつも、日向をヒマワリのように見つめていられた。
見上げる首がだるい程、背が高い義治クンだけど。
もの哀しい。。。って、悲しみが深いのではない。
メランコリーって云うのかな❓BOSSA NOVAを流す気分と似ていて、穏やかにおセンチに浸っているのだ。
ただ、もの哀しい。
何といってつらい事はない。もう、過ぎてった。
過ぎて行った事を、受け入れた。
近頃時々、10歳の頃TV番組で観た、体操選手の表彰シーンを、フラッシュバックする。
ナディア・コマネチ選手が常時金メダルで表彰台の真ん中に立っていた頃、銀・銅メダルはいつだって、ソビエト連邦(現ロシア?)の二人。フィラトワとシャポシュニコワ。
素直に喜んでいる15歳のフィラトワに対比して、最年少で一番小柄な14歳のシャポシュニコワは、いつも哀しみを湛えた瞳をしていた。
悲しいわけではないんだと、思う。金メダル獲得できなかった事、責めを負うお国柄かもしれないが、そのせいだけではないだろう。
もっと、喜んで誇らしく居れば、いいのに。。。
と、私はいつも感じていた。
偉業な結果を達成するのが当たり前なくらい、本人の努力とスタッフの尽力が、積み上げられていたはずだ。
だれか著名スポーツ選手が『結果を出す才能は、1%が素質で、あとは開花させるだけの努力が99%だ』と語っていた。
その表彰台に立つ事は必至で、結論で命題の答えなのだから、証明問題の過程を終えただけなのかもしれない。
次の目標に眼を凝らしていたのかもしれない。だから、おおげさには感激出来ないのは、分かる。
分かるんだけど。。。
あの、もの哀し気な表情を、何度も回想してしまう、この頃。
関西の実家へ強制送還で戻って、ごく一般的な「フツーの」サラリーマンと結婚していた当時、遅ればせの新婚旅行でこのサイパン島へ初上陸した。
それが10年前のこと。
その7日間の滞在中に、元カレつまり、BF義治クンの前に付き合っていた、ほぼ同年代のナツミも、このサイパン島に滞在していた。
偶然に、仕事の中の撮影で。
ダイヴィングにジェットスキーに、パラパント、、、マリンスポーツを体験パック・ツアーのごとく詰め込んで、慌ただしく楽しめている旦那は、ほおっておいた。
一応WinterSportsの元選手だった私から診れば、止めとき!と言いたいほど運動神経は大したことない旦那は、何でも三日坊主だから、ダイジェストで体験するくらいが丁度良いのだろう。。。
と、独りでビーチサイドのプールの側で、日がな一日寝そべって、BLUE HAWAIIとかのドリンクを味わっていた。
地元関西での再就職も落ち着いて、ボンヤリできる時間が欲しかったのだ。
ナツミは専用ビーチが在るホテルに泊まっていたが、ロケハン的にこのロコ・ビーチサイドに来ていた。
一週間ほぼほぼナツミと過ごしていた。
日本人は彼らスタッフと、私しか居ない、ローカルな浜。
静かに。穏やかに。
元カレと私のハネムーンのように。
日がな一日、一緒に過ごしたり。ランチだけ待ち合わせしたり。その場所がこの、クヒナさんのダイナーだったのだ。
ーーー to be continued.
ーーー梗概ーーー
ラジオドラマのシナリオ風に、綴ってみました。サイパン現地での会話は、同時通訳的に和訳も付記しています。
街中では多言語が氾濫。宗教や民族文化でも、男女間でも年齢や環境でも、個々に多種多様でボーダーレスな社会性。
現地滞在生活の中で回想を繰り返し、恋愛観結婚観や家族の在り方が嚙み合わない婚姻によって、真実の人生のパートナーを見失っていたと気づく。
ラストに『謎のMESSAGE』が腑に落ち、永らくの呪縛『シャポシュニコワ』も思い出さなくなっていた。
二人きりのSWEETS物語ではなく、社会とは切り離せない生活の現実として、読後に何か葛藤や思索が解ければ清々しくって嬉しいです。
ーーー 了 ーーー
Vol.1➡ https://note.com/namorada0707/n/nd32fd6393900
Vol.2➡ https://note.com/namorada0707/n/n49eacd3e4506
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Vol.5➡ https://note.com/namorada0707/n/n589900b4fe22
Vol.6➡ https://note.com/namorada0707/n/nb99c3e44241c