#6 あの夏

2015年に弟が高校のプログラムで一年間ホームステイしていたお家には、既に2回、訪れたことがあった。気軽に訪れるには遠い、トロントからまだ一時間時差のある小さな都市・ハリファックス。乗り継ぎを考えると移動だけで丸一日かかる距離だ。一度目は留学中の弟に会いに、二度目は弟が高校を卒業するタイミングで、それぞれ一週間ほどお世話になった。

2019年、とある私立校の非常勤講師をしていた私は、年間行事予定を見て、「夏休みが長い」ことを知った。日本の夏は暑くて過ごしにくい。私は英語を勉強するという建前のもと海外逃亡をはかり、避暑地に着いた。

もちろん、ホストファミリーであるファザー&マザーには早い段階でお伺いを立てていた。前々からいつでもおいでと言ってくれていた言葉に嘘はなく、ふたつ返事で楽しみにしてくれていた。

弟もお世話になったそのご夫妻は共働きで、私が語学学校に行かずにのんびり過ごしたいと知ると、「じゃあおばあちゃんのコテージに行けば?きっとその方が充実するわ!」と、そこから車で30分ほどの場所に住むグラミーに私を預けた。以前から顔見知りだったとはいえ一対一で大丈夫かしらと一抹の不安があったが、到着と同時にビッグハグと満面の笑みで出迎えてくれ、その後は何不自由なく、グラミーとの田舎暮らしを楽しんだ。

あの頃は好きなことが仕事で充実していたとはいえ、忙殺される日々も多く、疲れていた。

22時にベッドに入ると6時には自然と目が覚めた。
大体同じくらいの時間にグラミーも起きてきて、ふたりでコーヒーを淹れて朝のおしゃべりをした。「慌てなくていいわ、時間もコーヒーもたっぷりあるんだから」と私から辿々しい英語が出てくるのをいつもお茶目に待ってくれた。グラミーはいつも違った話題を振ってくれて、私に新しい表現を教えてくれた。

庭の植物の朝露を眺めたり、毎日少しずつ変わりゆく月の満ち欠けを毎晩見上げたり、歩いて20分の海岸で潮の満ち引きの具合を確かめたり。老犬Stellaに寄り添ってもらいながら英字を読んだり、キーボードを弾いたり。ゆったりと、でも確実に進んでいく毎日がたまらなく愛おしかった。

グラミーのコテージにはプールがあった。掴まっていないと軽々飛ばされてしまうくらい強力なジャグジー付きの大きなプールだ。いつでも入っていいよと言われ、本当に毎日入った。ぷか〜っと浮いて、帽子やサングラス越しに青い空を見上げるのが好きだった。

ここではプールに入ることが運動の全てであった。Stellaの散歩は広いお庭を一周する程度で、一番近いスーパーへは車で30分。文字通りの田舎暮らしだからだ。最初の頃は、一日二食だし、そんなに太らないのではと思っていた。だがそれは間違いであった。毎日チーズにバター、アイスクリームに塗れた生活をすればどうなるかは想像に難くない。が、本気で泳ぐことは少なかった。なぜなら、前述の強力ジャグジーに流されまいと耐えているだけで、蓄えられた皮下脂肪はぶるぶると震えていたからである。(もちろんそれだけで体重が落ちることはないとわかってはいたが、わかってはいてもとてつもないパワーを持つ「ヤツ」を信じてしまった。結果、1ヶ月半で5キロ太って帰国した。)

ファザーマザーも、休みのたびに街に連れ出してくれ、ホエールウォッチングや赤毛のアンの舞台となったプリンスエドワード島にも連れていってくれた。コテージに親戚を招いてのパーティーも日常茶飯事だった。何度も繰り返すようだが、本当に愛しい日々であった。持っていったサトウのご飯の袋を開けることなく帰国するくらいには満喫していた。逆ホームシックにもなった。

帰国が近付くと、グラミーは「あなたが帰ったら誰が私のコーヒーを淹れて、一緒にご飯を作ってくれるのかしら」と嘆いてくれた。空港での最後のハグのあとも「またいつでもおいでね」と来たときと同じようにありったけの愛をくれた。

またそろそろ会いに行かなければいけない。
あの夏は、私の宝物だから。

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