行き場のない感情の慣れの果て。
日付が変わった。酒を飲む。
「こんな時間に食べたら太っちゃう」
「夜ご飯も食べたじゃない。ダイエットはどこに行ったの?」
うるさい。食べたいと思うから食べるんだ。現代人は食べるという行為に崇高さを求めたがるが、「食いたいから食う」以上の意味付けが必要な理由などあるか。何か今日辛いことがあったわけじゃない。特に悩みも無い。ただなんとなく、卒論が常に頭の隅にいて、閉塞感のある実家に住んでいる、この状況が辛いのだ。
「辛いのはあなただけじゃない」
「もっとつらい人のことを考えなさい」
うるさい。この世にどんなに辛い人が居ようと今ある私の辛さになんら変わりはないだろう。辛さは相対評価じゃないんだよ。辛さを相対評価するなら、幸せも相対評価にしなくちゃわりに合わないけれど、人と比べる幸せなんかに意味があるとは私には思えない。
今日の酒はビール。糖質を考えて最近ハイボールしか飲んでいなかったが、ビールがとてつもなく飲みたいんだ。
「頑張って我慢してたじゃない」
うるさい。我慢した昨日の自分はえらいけれど、今の自分が飲みたいのなら飲んでいい。もしかしたら後悔するのかもしれないけど、それだけ耐えられなかったんだ。この文章は免罪符。書く労力という対価を払って、ルッキズムの神からの許しを請う。
美味い。ステンレスのコップに入れているので泡の割合はわからないが、別に黄金比じゃなくたってなんでもいいじゃないか。美味いのだから。黄金の液体がスッカスカの脳みそに染み渡っていく。
美味いがつまみが足りない。そうだ、インスタントラーメンを作ろう。
無かったのでカップ焼きそばで代用する。
お湯を沸かす間にユーチューブを見る。大学の友人が「コンテンツを消費する毎日ってつまらなくない?」というけれど、私としては「そんなに自分のことをメタ的にとらえる毎日ってつまらなくない?」と言い返したくなる。ヒカキンの動画をぼんやりと眺めているのは「つまらない」と言われればそうなのかもしれないけれど、その代わりになにかするほどの活力が無いのだから仕方がないじゃないか。
お湯が沸いた。一平ちゃんとはだれなのか。ベリベリと蓋をあけ、中から三つの袋を取り出す。アルコールに浸った能でも自動的にお湯を注ぐまでできるのだから、たまにやるソース前掛け事件をしている時の自分は何なのだろう。
三分間待つ。暇なのでビールを飲む。
はあ。なんで私は明日の朝の教授との面談を控えながら一人で酒を飲んでいるのだろう。
いかんいかん冷静になるな、明らかにおかしいことは100も承知。そのうえで飲みたかったのだからそれは私の脳みそを超えた、身体からのSOSだ。
またHikakinの動画をみていたら3分が経った。40万円を超える柿を食べているHikakinを見ながら100円行かないカップ焼きそばを食べる私。格差社会だ!とも思うが別に40万円を超える柿に対して興味もわかない。人の興味は財力の影響を強く受けているのかもしれない、興味深い話だ。
ソースをかけ、マヨビーム。ふりかけもかけて一心不乱に麺を吸引。ビールをゴクリ。
あーーーーー、うめえ。
私は結構感情に波がある方だ。嬉しいことも悲しいことも全力で感じる。しかし、最近はあまり嬉しいことも悲しいことも無かった。もしかしたらこの食欲は、行き場をなくしたさざ波のような感情の慣れ果てなのかもしれない。
ならば、大事にかわいがってあげなければ。
次のきつねうどんに手を伸ばした。