「死」のおはなし(生徒に向けて)
*私は家庭教師先の生徒(中学1年)にテーマをもらってそれに関するお話を書いています。今回は「死」というテーマをもらったのでそれについて書きました。
こんなテーマを渡されて、非常にドキッとした。君からテーマを渡されてから3ヶ月もの間、就活だの試験勉強だのいろんな理由をつけて見せずにいたのは、家庭教師という立場で生徒の君にこれを見せることは、私の死生観を思春期の少年に押し付けることに他ならないのでは?と心配したからだ。
だから先にめちゃくちゃに強調しておく。これは「私の」考え方だ。君には君の考え方があっていいしあるべきだし、悩んだ時に私の考えをそのまま使って死について考えるのはやめて欲しい。(文章の中でも何回もそのことについては強調しているが、とりあえず読む前にも言っておいた。)
生きる、死ぬ、に対するイメージ(死生観)は人によって違う。君は今どんなイメージを持っているだろう。「思春期」とかいうものに入ると、かなりの確率で「死」について考えることになる。漠然とこれからの人生を想像して、その終わりについて考える。もしくは、凄くつらいことを経験して、「生きる意味」を考える中で「死」について考えたりする。
私も勿論、「死ぬこと」についてずっと考えていたことがある。今考えれば全然大したことがない悩みだったけれど、当時凄く大きな悩みがあって、毎日「生きる意味」とか「死ぬこと」「生まれること」について考えていた。
まだまだ考えた年月は少ないけれど、一応私なりの結論は出ているので、君に1つの考え方の紹介として話したい。
まあとにかく漠然としたお話なので、➀死ぬって何?②死なない理由③生きる意味って何?
の三つに整理して話していく。
今までと違って君に問いかけることなく私の考えを書く形にした。あくまで「私の」考えであって、正解じゃない、というのを前提に読んでほしい。
➀死ぬってなに?
じゃあまず、死ぬってなに?から。死ぬことについては様々な考え方があるけれど、私が信じているのは「無」とか「終止符」とかそういうもの。考えるとか幸せだとか寂しいだとか、そういうものが全くない。すべての知覚が無くなってそもそも自分とかいうものも無くなるんだと思っている。
「現実主義」だから死後の世界はない、って考えてるんだ!と思われるかもしれないけれど、少し違う。
科学的に考えたら…とかも確かに信じる理由にはなっているけれど、それが中心と言うわけでは無くて、私個人は、極楽や天国を信じる人と同じように「死んだら無」というのを信じて生きている。
世の中には様々な宗教があるけれど、それらに大体共通するのは「死後の世界」だ。それを信じることで生きている人もいる。
だけど私は、死後の世界なんて存在しないと信じている。死んだあとの世界があるかどうかなんて死んでみないとわからない。誰も見たことがない。「臨死体験うんぬんで、見たことがある人がいた」なんて反論されるかもしれないけれど、身近にそんな人は居ない私にとっては、「ツチノコはいる!」ってのと同じくらい眉唾な話だ。
私が本当に「現実主義」の人間なら「死んだらどうなるのかわからない。死後の世界はあるかもしれないし、無いかもしれない。」というのが正しいんだと思う。
じゃあなんで「死後の世界は無い」と信じ込もうとしているのかについては、次の②死なない理由でお話する。
とりあえず「死」ってなに?という質問に対し、私は「無」「終止符」と答える。
②死なない理由
私が「死ぬ」ってことを何だと思っているのかについて説明したところで、死なない理由についてお話しする。
めちゃくちゃ長い人生だ。私はまだ20年やそこらしか生きていないけれど、「死にたい」とか思ったことは一度や二度ではない。これからも何度も思うだろう。何なら今私は卒論が提出できなくなることを想像して死にたくなっている。ではそんな私がなんで死なないのかと言うと、端的に言って、死ぬのが怖いからだ。自分が無くなってしまう、ということは私はすごく怖い。その恐怖と、自分の今の人生の可能性を比べて、どう考えても生きた方がいいと思うから、私は死なずに生きている。
もう少し詳しく話していく。
死ぬっていうのは不可逆だ。もう一度生き返るなんてことは出来ない。(宗教によってはそういう考え方もあるらしいけれど、とりあえずそれは置いておく。)私は死を「終止符」だと考えているので、よりその意識は強い。
一方、人生の可能性はわからない。いくらどん底で、自分の力では何も変えることはできない。という気持ちになったとしても、なんらかの事情で、変わる可能性はある。
私の中で、死は「終わり」だ。やっぱり私はそう信じる。死ぬことで幸せになれる可能性は0%。それよりは、限りなく0に近くとも、生きていて事態が好転する可能性の方がよっぽど高い。だから私は死なないで生きている。
「死んだら天国に行けるかもしれない」と思って現世を耐えている人も居るかもしれないけれど、私は死への恐怖を利用して「死なない」ことで生きているのだ。
③生きる意味って何?
今までの話をまとめると、「死は終止符で怖いから、それよりはマシな生きるという選択をするし、生きるために「死は終止符」だと信じている。」ということになる。
じゃあなんでそんな無理やり思い込んでまで、生きているのか。死なない理由ではなく、「生きる意味」について話していく。
私の生きる理由は、
「ワンピースのラストを知りたいし、コナンのラストも知りたいし、犬も飼ってみたいし、夕日を見るのは好きだし、花火もきれいだし、雨の中ずぶぬれになって走るのも好きだし、温泉も好きだし、友達と喋るのは楽しいし、ご飯はおいしいし、牛タン食べたいし、ラーメン食べたいし、カレー食べたいし、お風呂上りに食べるアイス大好きだし、ユーチューブ見るの好きだし、その他もろもろ楽しいことが沢山あるから」
だ。
しょうもない、本当にしょうもない「やってみたい」「楽しい」「知りたい」「面白い」「好き」という事柄が沢山集まって私は生きている。
大層な使命を背負っているから、とかそんなことはないし、別に成し遂げたいことも無いけれど、そういうことが沢山あれば生きることはある程度楽しいし、私はそういうことに目を向けるのが好きだ。
楽しいと思えないときもあるが、そういう時は死ぬのが怖いから死なない。それ以外の時は、楽しいから生きる。そういうメンタルで私は生きている。
ここまで私の死生観について語ったわけだけれど、君がもし何かに悩んでいることがあれば、とりあえず飯食って寝てください。それでも「人の世に疲れた…」とか思うことがあれば、私といかにこの世がクソかについて話し合いましょう。
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