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自分のお話(生徒に向けて)

*私は家庭教師先の生徒(中学1年)にテーマをもらってそれに関するお話を書いています。今回は「自分」というテーマをもらいました。

「自分」をしっかり1つに定めている人なんて居ないと思う。私だって君の前では家庭教師として自信満々に偉そうなことばかり言うけれど、友人の前では下品でくだらない話ばかりしているし、弱音を吐くことだって沢山ある。よく、君には「そんな性格じゃ、先生は友達がいなくなるよ」と言われるけれど、確かに私が友達の前でも、君の前に居る時の「私」であるならば、友達は居ないのかもしれないね。

私と一緒に今授業をサボっているふざけた友達も、就職活動では、いかに大学生活を活動的に過ごしたのか、自分がいかに真面目な人間かを饒舌に語るわけで、なんなら君だって、私の前の態度と、親御さんの前の態度、友達と居るときの態度は全部違うだろう。

そうやって、誰しも人によって態度を変える。悪いことじゃない。
むしろ、自分では確固たる「自分」があると信じている方が不思議な話だ。

ところで、君の思う「自分」はなんだろう。自分はどんな人間だと思う?どこに住んでる、とか何歳、とかそういうことではなくて、「どんな人」だと思う?
「○○が好き」だとか「○○になりたい」だとか、ちょっとは出てくるかもしれないし、出てこないかもしれない。ちなみに私は自分のことを「冷めた人」だと思っている。好きな物はあるけれど、それが好きな自分をどこか外から見てしまっているようで気持ちが悪いな、と自分で思う。
君はどうだろう?君自身は自分のことをどう思っている?

もしそれがマイナスな評価なら、言いたいことがある。
私は人からは「元気な人」だとか「ポジティブな人」だとか、君からは「性格が悪い人」だと言われる。だけど自分では自分のことを全くそう思っていない。じゃあどの自分が本当の自分なんだろう。

多分、どれも本当の自分ではないんだと思う。「自分」は人が思うほどポジティブな人間じゃないし、自分が思うほど性格が良い人間というわけではないし、冷めた人間なわけでもない。自分では自分のことがわからないけれど、きっと、自分が思っている自分とはまた違う自分が、「自分」なんだと思う。
人によって「自分」が変わる、自分の前の「自分」も人の前の自分と違うからこそ、本当の自分なんて自分で理解することができない。
非常にややこしい話になってしまって困ったのだが、そう考えたら凄く楽だと思わないかな?自分で自分のことを「○○な人間だ」と考えて落ち込んだり、何かを諦めたりすることは全くの無駄なわけ。
これから先君は色んな成功体験や挫折体験をするんだと思う。いろんな人に会ってそのたびに、人から「君は○○な人だね」と言われたり、自分で「自分は○○な人だ」とか思うんだと思う。
だけれどそれで落ち込んだり、自分の可能性を信じないのは本当に勿体ないことだ。
誰にも自分のことなんかわからないし、自分ですら自分のことはわからないんだから。

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