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薄れない夏の面影


 家に帰ってくると、すぐにクーラーをつけるのが当たり前になったこの頃。6月も終わりに近づき、いよいよ夏の気配が色濃くなってきました。

 毎年、この時期になると思い出す人がいます。記憶は薄れていくもので、興味は移り変わっていくものだから、いつまで思い出すかはわかりません。でも、たしかにあの頃、夏風と共に心に過ぎる人がいたということを覚えておきたくて、書いてみることにしました。


 幼い頃、すごく好きな漫画がありました。30巻以上をかけ、私が主人公の歳をとうに追い越す頃に完結した学園物。初めてその作品を知ったのはアニメで、そこからはまってお小遣いで一気に既刊を買い揃えた思い出があります。
 けれど、私の周りでは読んでいる子は少なくて、中学生になり、インターネットが自由に使えるようになると、作品の感想を書いているブログを見るのが趣味になりました。その検索中にたまたま見つけたのが、二次創作のサーチエンジンです。
 誰にも内緒で、こっそり小説を書いていたものの、まだ「一次創作」という言葉も知らなかった当時。当然、二次創作なんてものがあることを知るはずもなく、何だろう?と興味のままに、掲載されているサイトを見ていきました。
 各サイトの注意書きや載せられている作品を見るうちに、どうやらあの漫画をもとに作られた作品が集まってるみたいだぞ、と気づいた私。こんな世界があるのかと、当時夏休みで時間がたっぷりあったのを幸いに、サーチに登録されているサイトを片っ端から見ていくことにしました。その中で見つけたのが、今でも忘れられないあるサイトです。

 その小説を読んだ瞬間、全力疾走の後のように鼓動が跳ね、頭の芯が熱を帯びていくのを感じました。雷に打たれるなんていうのも生やさしい。心臓を直に鷲掴みにされ、熱々の焼印を押しつけられたような、痛みにも似た感動。胸を襲う衝動のままに、サイトに載せられている作品を夢中で隅々まで読んでいきました。

 そこには、一次創作の小説や詩も載せられていて、ブログも併設されていました。過去の記事まで遡ってブログを読んでいくにつれ、サイトの管理者がどうやら同い年の女の子だということ、寒いところに住んでいるということを知りました。
 ブログの記事ひとつにしても、彼女の綴る言葉は淡く繊細で、絹糸を織るように、些細な日常が丁寧に、時に溢れんばかりの感情を込めて紡がれているのが好きで堪らなく、彼女にはどんな世界が見えているのだろうかといつも思いました。素敵な世界観や文章に触れるたび、「この人の目になりたい」と思うのですが、初めてその感覚を知ったのは、彼女からでした。
 一次創作の詩をメインに書いているその人は、きまって週に一回は新しい作品を載せていて、週末になるとわくわくしながらお気に入りを開けていたのを、今でもよく覚えています。難解な言葉などひとつも使われていないのに、彼女が書く作品はどこを切り取っても美しく、文字を打つたび、その指先が輝きの粉を言葉に纏わせているようにすら思いました。

 好きという言葉では到底足りない、憧れで勝手に宝物のように思っていたサイト。けれどそれは、ある日突然姿を消してしまいました。いつも通り、パソコンのお気に入りからアクセスして、「跡地」の文字と「ありがとうございました」の一言を見た時の頭が真っ白になる感じ。片手で足りないほどの時間が経ったのに、まだまざまざと思い出せます。


 記憶は磨かれていくもので、大切に大切にするうちに、いくつもベールが重なって本当の姿をぼやけさせていくものです。もしかすると、私の中で勝手に美化しているだけかもしれません。今読み返せば、心に刺さらないかもしれません。けれど、あの時感じた鮮烈な衝撃も感動も、いまだ胸にありつづける羨望も、「あんな風に」と願う気持ちも、きっと幻想でも嘘でもないのだと思います。

 夏のよく晴れた日。プールの中から見上げた太陽のような、柔らかで、近くにありそうなのに遠い文章を書く女の子。四季の中で一番夏が好きだと言っていた彼女が、自分の書いた作品をまだ思い続けている人がいることを知ったらどう思うのか。たしかめる術はもちろんないけれど、いつまでも、褪せることなく胸にありつづける憧れを、追いかけることは許してほしいと、傲慢にも願う梅雨の日です。



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