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たまねぎの手


 褒められると調子に乗るタイプで、「波佳の作るカレーが一番美味しい」と母に言われ、今日は久しぶりに台所に立った。あとから、これ、まんまと思惑にのったんじゃ……?と思ったけれど、しばらくぶりの料理は気分転換にもなったので良しとする。

 カレーは具材たっぷりが好きなので、肉も野菜も、これでもかというぐらい入れる。肉はいつもは牛すじだけど、今日は父が半額で買ってきたブロックの牛肉があったので、迷わずそれに。玉ねぎはたっぷり3個、じゃがいもはメークインを5個、人参は2本と半分(ラップに巻かれて半分置いてあったのを拝借)。
 コンタクトをして玉ねぎを切ると、なぜか目が痛くならない。だけど、わざわざそのためだけに付ける気にはなれずに、眼鏡のまま挑んだ。
 いざ、尋常に勝負。妙な気合と共に玉ねぎに向き合った時、ふと小学校の時を思い出した。調理実習でハンバーグを作った時、同じ班の男子が、「鼻にティッシュを詰めると目にしみないらしい」と言っていた。
 あの時も嘘だーと思ったけれど、今日も嘘だーと思いながら、物は試しでとりあえずティッシュを鼻へ。誰もいなくてよかったと思いながら、再び玉ねぎの前に立つ。いつも通りくし切りにし始めて、びっくりした。目にほとんどしみないのだ。いつもなら涙で涙でで、何度もティッシュを取りに行かないといけないのに、今日はそれがほとんどない。ありがとう、青バンダナの君!数年越しの感謝を心の中で呟いて、無事玉ねぎを切るのは完了。その勢いのまま、じゃがいもと人参にも取りかかる(さすがにティッシュは抜いた)。

 全部切り終わると、用意した大ボウルは野菜がてんこもりになった。
 小さい時、母はよく「時間ないからカレーにするね!」と言っていた。そのイメージが強いから、カレーはちゃちゃっと作れるものの印象が抜けない。だけど、切る野菜はいっぱいあるし、お肉は炒めないといけないし、煮込む時間があるしで、意外と手間がかかる。どこが簡単なんだ。台所番としての底力を感じてしまう。
 自分で作るようになって気づいたこと。母や父が普通にこなしていて、けれどそうではないことが、きっとこの他にもあるのだと思う。

 うちではお肉だけ炒めて、あとは野菜をぽいっと放り込んで、水を入れて煮込む。その間はたまにアクを取ったりかき混ぜたりするほかは、ちょっとした自由時間。今日は読みかけの本を片手にお鍋に張り付いていた。ゆっくり腰を据えてよりも、こうやって何かの合間に読む方が捗ったりするから、読書は不思議だ。

 充分煮込んだら、火を止めてルーを投入。中辛と辛口を半々ずつ混ぜることもあるけど、今日は辛口ばっかりにした。
 かき混ぜてかき混ぜて、ルーが溶けたところで火をもう一度点けて煮込む。このルーを溶かす時、全部溶けきるまで見届けようと、一個一個お箸で掴んで溶かそうとするのだけれど、毎回途中で見失ってしまう。これ、最後まできちんと溶かすいい方法はあるんだろうか。

 IHのタイマーが鳴ったら煮込み完了。蓋を開けると、いい感じにとろみがついていてにんまりした。
 蓋をし直して、テレビでも見るかとダイニングへ。行きかけたところで、ふと手の匂いを嗅いだ。香ったのは、玉ねぎを切った後の匂い。青いような茶色いような、あともう少し濃くなれば臭いなと思うような匂い。記憶の中でカレーと強く結びついたそれは、不思議と心を落ち着けるもので。明日は早起きして朝ご飯作ろうかな、なんて思った。