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ちがさきよいまち、よいところ

夫とサザンオールスターズの楽曲やライブ映像を鑑賞しながら、
「桑田さんは茅ヶ崎の宝だよね」と嬉しがることがルーティンのようになってきた。
神奈川県茅ヶ崎市。人口25万人に届かない小さなまち。
都会とは言い難いが、田舎とも言い切れない、「トカイナカ」と称されたまち。

私はここで育った。

海水浴場が「サザンビーチちがさき」と名称を変えたのは高校生の頃。
茅ヶ崎は桑田さんや加山雄三さんにあやかりすぎだなぁ、と、地域の特色が薄いことを少し残念に思っていた。
だが最近、ラジオDJ・音楽プロデューサーの宮治淳一さん著、「茅ヶ崎音楽物語」を拝読し、先述のお二人にとって故郷と音楽は切り離せない環境であったことが垣間見えた。私が想像するより長く、茅ヶ崎と相思相愛で結ばれていたのだろう。

ただやはり茅ヶ崎で暮らしたひとりとして思うのは、
このまちには圧倒的なストロングポイントが見当たらない。
お隣の市は江ノ島を擁している。国道134号線から眺めては「私の実家も近い」と“勝手にシンドバッド”を気取って満足するプロになった。横浜に至っては、いつの時代も最先端が眩しいみなとみらい地区を歩こうものなら「ここは神奈川県じゃない、横浜県だっ」と軽いルサンチマンを発動させる。
(横浜まで通学していた時代もあるので、愛着いっぱいですよ、本当です)

だが私は茅ヶ崎駅のホームに着くと、細胞が踊りだすような嬉しさと安心感をおぼえる。現在も東海道線にひょいと乗れば難なく帰れる場所に住んでいるのだが、駅に降り立った時すでに空気の違いを感じる。魔法にかかったかのように、時間の流れが緩やかになるのだ。そして、あぁこれが私の好きな茅ヶ崎!と胸をキュンキュンさせるのだ。いつ何時でも。
(因みに、なんどき牧場というレストランがあります)

「ここに住んでる人達、出身を聞かれたときに茅ヶ崎って言うよね。神奈川じゃなくて」
元職場の先輩が仰って、ほんとその通りですね!と盛り上がったことがある。茅ヶ崎の人は自分の住んでいるまちが好き。そんな目には見えない雰囲気を、10代くらいからほんのり感じていたような。だから住み心地がよく、好きが増していったのかもしれない。そしておばさんになった今、「茅ヶ崎」は確実に心の真ん中にある。

数年前、休職ののちに退職をした。
その期間の楽しみは、通院帰りに外食をすることだった。
昔から知っているお店にも行ったが、時を同じくして発刊された「Cheeega(チーガ)」という地元への愛情と情報に溢れたフリーマガジンに掲載されたお店にも足を運んだ。

Cheeegaのお陰で実感したのは、茅ヶ崎は個人経営の飲食店がとても多いということだ。私が現在進行形でお世話になっているお店はどこも個性豊か。そして、ひとりでいても家のように落ち着ける。これが何といってもありがたい。
顔を覚えてくださったお店では、図々しくも短い会話をさせて頂くこともあり、心から安らげる時間を過ごさせて頂いている。

そして更に救われる点。
放ってもおいてくださること。
どんなテンションで滞在しても、そのままでいさせてくださること。
泣き腫らした目で初めてのお店に入ったときも、笑顔で迎えてくださった。
ばれてないんだと長らく思っていたが、いい歳したおばさんがぐちゃぐちゃの顔してドアを開けたらぎょっとするんじゃなかろうか。

どのお店の方も、遠ざけず近すぎずという絶妙な距離感をいつも作ってくださる。

それはお客さん同士でも感じることがある。何かアクションを起こすということではない。ただ、お互いに「他人」よりもわずかに親しい認識で空間を分け合っている気がする。そこにいる皆は親戚、のような温かさをいつも感じる。誰かが物を落としたら笑顔で渡して、言葉の往復もちょっと生まれちゃうような。
パーソナルスペースを尊重しつつ、周囲に穏やかな目を向けている方が多い気がする。

漁業が盛んだった茅ヶ崎は、遥か昔から助け合いや見守り合いの精神が根づいているのかもしれない。さりげない優しさが漂う土地では、個人のお店も開きやすいだろうし、盛り上げる体制もできているのだろう。
人口や面積が程よくコンパクトなのも、人間同士の距離感をいい塩梅にしている気がする。

そして最も重要なのは、「圧倒的なストロングポイントが見当たらない」ことだと私は思っている。
観光の目玉になるようなランドマークがない。
他の湘南地区より、海に華やかさがない。
けちょんけちょんにしたいわけではない。
「何もない」があるのだ。
だからこのまちは、一度しか交わらないかもしれない人との繋がりをぞんざいにしないのだ、と信じている。

私は最大の特色「何もない」の助けを借り、その時々で夢中になれるものに出会ってこられたのだと思う。茅ヶ崎人は代々、ありのままの景色を慈しみながら、小さな石さえこぼさぬように、しあわせを重ねてきたのかもしれない。

ありすぎると、気づかぬまま何かを失くしているはず。

結婚を機に離れた故郷。仕事を辞めたことでその懐の深さに触れ、心救われ、郷土愛が増した。

歴史、変遷、その背景、受け継がれてきた想い。
まだまだ未知のふるさとのことを、もっと知っていきたい。
帰るたび心の風を入れ替えてくれる茅ヶ崎に、恩返しがしたい。
小さくても、自分にできることを見つけていきたい。

自動車よりも市民権を得ていたのでは、と思うほど多かった自転車の交通量。そういえば、近頃はその風景が見られないなぁ。
夏になるとどこかの神社から聞こえてきた、「ちがさきよいまち よいところ」と流れる盆踊りの唄。今も子ども達は集まるのだろうか。
数十年前と比べて、随分と洗練されてきた部分も大きい。

ハード面の変化を止めることはできないが、「市民住民、訪れた人皆親戚」のマインドは未来へ繋がってほしい。それが茅ヶ崎の、希望の轍になるはずだから。

もうすぐ駅のホームに潮の香りが運ばれる季節が来る。
それは私にとって、永遠に茅ヶ崎の匂い。

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