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こうして私はバツイチに…⑦「やりたい仕事」

はじめに

どうもふくすけ(@namiuchigiwade)です。

今回は「こうして私はバツイチに…」シリーズのパート7になる。

→前回はこちら

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この話しは妻の『不倫』をきっかけに離婚した私の実体験である。

今から思い返すと、

この頃は普通に仲の良い夫婦だったのではないかと思う。

よく映画も行ったし、

飲みにも行った。

半年ほどではあったが唯一のラブラブ期だったかもしれない(笑)

では続きをどうぞ。

いきなり迫らせた2択

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2010年4月。

私たち夫婦はまだ千葉にいた。

去年の4月から成田空港へヘルプが始まった当初、

千葉にいる期間は半年から1年と言われていたが、

まだ関空に帰る辞令は出ていない。

妻も11月から働いて5ヶ月経っていた。

正月休みに妻の実家に行った時は、

「ヘルプ長くて1年って言うてたし、

残りの千葉での生活楽しみやぁ」

なんて言われていたが、

いざ4月になっても何の音沙汰もなかった。

実はこの頃うちの航空会社はリーマンショックの影響で、

旅行客が激減。

経営破綻に近いところまで追い込まれていた。

そのため上の人達は職員のヘルプの異動まできっと頭が及ばず、

後から聞いたのだが関空の規模が大幅に縮小されて、

私の関空での働き場所がなくなっていたらしい。

他の関空から成田に来た職員も、

退職して大阪へ帰る人が増えていた。

こうして私は自然と、

成田に残るか、

退職して大阪へ帰るか。

と言う選択肢に迫られていた。

「どうしよう…」

私はまた岐路に立たされていた。

私の気持ちとしては辞めてでも大阪へ帰りたかった。

責任感を持ってやってはいるが、

決してやりたかったわけでもない仕事を慣れない場所で、

いつまで続くかわからない状況で続けていくのに不安しかなかった。

だが、

これは私1人の問題ではない。

「これは夫婦で話し合おう」

そう思った私はその夜妻に相談した。

…。

妻はというとデイサービスの仕事に慣れてきたところ。

「またおれの都合で仕事辞めさせるかもしれへんのか?

さすがにそれは申し訳ないなぁ」

と思った。

この相談は正直かなり気が重い…。

会社都合と言えど、

新婚で転職と引っ越し繰り返すのって有りか?

夜事情を説明すると妻は泣いてしまった。

「私もせっかく生活に慣れてきたのに…。

仕事を変えずに大阪には戻られへんの?」

…。

もっともだと思った。

「本当にごめん。

仕事続けるんやったらまだ当分成田らしい」

…。

嘘ではなかった。

この日上司に確認すると、

「申し訳ない。

こんな想定してなくて…。

とりあえずもう1年成田にいるつもりでいてくれない?」

と言われていた。

「ごめん。

頭がごちゃごちゃしちゃって…。

少し、

考えさせて欲しい」

妻に泣きながら訴えられた。

本当に自分が情けなかった。

「全然待つよ。

シホ(仮名)、本当にごめんな。

本当ごめんなさい」

私はただ謝るしかできなかった。

この時は会社の事情も絡んでいたとは言え、

やはりいきなり2択を迫るような話しをしてしまったのが良くなかった。

せっかく妻は仕事を辞めて一代決心して千葉に来てくれたのに、

1年もしないうちにこんなことになってしまった。

本当に申し訳なかった。

また、

妻に千葉に来てもらった負い目から、

自分が辞めてでも大阪に帰りたいという希望を伝えず、

妻の希望を尊重しようと、

妻に一任させてしまったのも良くなかった。

気を使い過ぎてしまった。

もっと私の希望も話し、

お互い意見をすり合わせることをしなかったのが、

のちのち離婚に至った原因ではなかったのかと今では反省している。

この時2010年4月。

離婚まであと6年と2ヶ月…。

妻が選んだのは…?!

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2010年7月、

梅雨も終わりあちこちでセミの声が聞こえ始める頃、

私は就職活動をしていた。

今日面接しに行く場所は千葉県にある特別養護老人ホームだ。

そう…。

千葉県である…。

遡ること2ヶ月半前の2010年4月。

私が妻に、

成田に残るか、

退職して大阪へ帰るか。

の2択を迫ってから2日後のことだった。

夜、妻と一緒にご飯を食べていると、

「あのさぁ、

こないだのことやけどさぁ、

私今の仕事楽しいから正直辞めたくないねん。

だからまだ大阪に帰りたくない。

けど、

ふくすけの会社は今ちょっと危ないし、

関空戻るまでとかじゃなくてこのまま成田空港で働いても、

先が見えへんやん?

だからよかったら千葉で就職先探して欲しいんやけど…」

…。

なんと、

妻が選んだ答えは、

①成田に残る

でもなく、

②退職して大阪へ帰る

でもなく、

③退職して千葉に残る

という全く想定外なものであった。

…だが、妻が言っていることはわからなくもなかった。

成田空港の仕事は規模が縮小しているが、

職員数はさほど変わらないため、

成田空港に仕事で長時間拘束されても「待機時間(休憩時間)」が長く、

所定労働時間より労働時間が短くなることがあり、

その分給与が減っていた。

このまま成田空港で働き続けるのはリスクが伴っていた。

この時私は29歳。

転職するなら今ならまだチャンスがあると妻は感じたらしい。

前述通り妻は今の仕事を辞めたくないので、

私が千葉で転職をするのがベターではないのか。

というのが妻が導き出した結論だった。

まぁ、きっとそこにはお義母さんの意向もあったと思うが…。

だが、

私は今の職場では給与が減ってでも続けたいとは思わないし、

妻が仕事を辞めたくないと言った以上、

私が無理強いして大阪に帰るのは得策ではないと思い、

この時私は千葉での転職に大きく舵を切った。

…。

しかしまた転職だ。

しかも今の会社はこの時点で働いて2年も経っていない…。

…。

だが仕方がない。

私は妻と一緒に住み始めて1年も経っていない。

ここで揉め事を起こして夫婦関係を壊したくない…。

私が堪えればいい…。

そう思い私は千葉で転職活動を始めた。

だが次の仕事は何が良いのか?

そう考えていると、

「また介護やったら?

ふくすけは介護の仕事したいんでしょ?

大阪の時はお義母さん介護の仕事なら反対してたけど、

私はやりたい仕事やって欲しい」

…。

…それ大阪でお義母さんに言われた時も言って欲しかったー!

と脳内ツッコミしながら介護の仕事を探し始めたのだった。

→その時の様子がこちら

…時を戻そう。

そして、

千葉県内の特別養護老人ホームに面接し、

あっさり内定をもらった。

実はこの年の1月に一応念のために「介護福祉士」の試験を受け、

無事合格していた。

…未練たらたらやないか…。

こうして無事介護の仕事を再開するのであった。

この時2010年7月。

離婚まであと5年と11ヶ月…。

再び介護の世界へ

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2010年7月末、

私は成田空港で退職届を出した。

「やっぱり辞めるかぁ、

悪かったなぁ。

こんな状況になって…」

謝ってくれる上司を見て私は、

「いえ、

全然いいんです。

謝らんといてください。

すごく勉強になりましたし、

皆様には感謝しかないです」

私は素直にそう思った。

たった2年の経験ではあったが、

千葉の土地や、

仲間たちに出会えたことに本当に感謝していた。

職場のみんなもとても惜しんでくれた。

「ありがとう」

「またいつでも飲もうな」

…とても嬉しかった。

コロコロ職を変えるのはあまり良くないが、

いろんな出会いがあって有意義な2年間だった。

ここで出会った仲間たちとは今でも連絡を取っている。

私にとっては財産だ。

ありがとうー。

そして、

次は介護の仕事だ。

入社したのは2010年9月。

約2年のブランクがあるが果たして勘が鈍っていないか。

若干不安はあったが、

実は1週間ほどで慣れた。

頭で覚えたことはすぐに忘れてしまうが、

身体で覚えたことは意外と残ってくれていた。

食事介助、

入浴介助、

就寝介助など、

その方の体格や身体の可動域などを覚えたらスムーズにできたのが嬉しかった。

「おれにはやっぱこの仕事やな」

とても楽しかった。

妻も一緒にいる時間が増え、

喜んでくれた。

今度大阪に帰る日がいつ来るのかまだわからないが、

結婚生活も仕事も両方楽しもうと思った。

ー次回ー

妻「だからもともとあんたの都合で私は千葉に来たんやん!」

この時2010年9月。

離婚まであと5年と9ヶ月…。

続く

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