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学振若手研究者海外挑戦プログラムで韓国へ調査に行った話①:渡航を決意〜申請まで

日本学術振興会の「若手研究者海外挑戦プログラム」を利用して、韓国・ソウルへ研究留学に行きました。過去の支援先を見ても、私以外に韓国滞在の例はほとんどなく、政治学でアジア方面に研究留学される方も少ないようです。そこで本記事では私がコロナ禍で韓国行きを決断し、助成を申請するに至った経緯を紹介します。(連載:第1回)

2021年8月から2022年6月まで、日本学術振興会が博士後期課程の大学院生向けに実施している「若手研究者海外挑戦プログラム」(参考:日本学術振興会)の支援を受け、韓国・ソウルに研究留学していました。

過去の支援先を見てみると、人文社会系で韓国に滞在した例は私を除いてお2人しかいらっしゃらなく(さらにお2人とも人文です*2023年9月現在)
また政治学でアジア方面に研究留学に行く例も少ないように思います。

そこで本記事ではコロナ禍で私が韓国行きを決意し、本助成に申請するまでの経験をご紹介します。

本記事は海外挑戦プログラムに応募予定の方だけでなく、韓国に研究留学を予定している方や、コロナ禍などの非常事態下で、どのように研究留学を進めたのかを知りたい方の参考になればと思い、書いています。


助成について

若手研究者海外挑戦プログラムの採択率は学振の他のプログラムや他助成と比べても高いです
学振によると、私が採用されたR3年度の採択率は第1回が39.7%、第2回が43.2%でした(私は第2回採用です。ちなみに第1回は補欠でした)
さらに直近の数字をみると、R4年度の第1回が46.6%、R4年度の第2回が50.4%、R5年度の第1回が51.5%と、採択率が上昇傾向であることが分かります。
(参考:日本学術振興会

また、第1回、第2回とあるように年に2回募集があることも魅力です。
これにより渡航計画に合わせて柔軟に申請ができます。さらに申請時に渡航時期を決めておく必要がありますが、採用後にある程度変更が可能です
実際に私も飛行機の欠航の関係で出発日を変更しただけでなく、調査の継続のために帰国日を3ヶ月ほど延長しました。
(ただ延長したからといって追加の滞在費の支給はありません。帰国便の日付や書類記載の日時を変更できる程度です。)

助成額(滞在費)は派遣先によって100-140万の間で異なります(2024年現在)。韓国の場合は乙地方なので110万円です。為替変動を加味することはなく円で一括支給されます。この点、円安の今だとキツイですね…
(参考:若手研究者海外挑戦プログラム「遵守事項及び諸手続の手引」*PDF)

さらに同一の研究課題に対する他の助成の支援の併用も認められています
海外渡航となると何かとお金がかかりますし、プログラムの助成額だけでは半年以上など中長期の滞在は難しいので、他の助成と併用することをおすすめします。私もJST次世代とその関連プログラムの助成を受けていました。

また、助成金の使徒に制限がないことも大きな魅力です
助成額(滞在費)がそのまま個人口座に振り込まれます(ベンチフィー、航空券代は実費清算)。領収書の提出義務等もありません(ベンチフィー、航空券代は必須)。これも助成に恵まれない大学院生にとって大変ありがたいことです。

ただ残念ながら対象者は日本国籍または永住権保持者に限るそうです。ここは学振DCとは異なりますので注意が必要です。

以上までは基本事項であり、詳しくは学振のウェブサイトで確認できます。
以下では実際に私が渡航に至った経緯を時系列で紹介します。

渡航計画〜申請まで

Day?? 海外での調査を計画する(2020年6月ごろ)

2020年は前例のない「パンデミックの年」でした。
海外だけでなく国内の移動も制限され、自宅に閉じ込められる日々でした。

その頃、私は博士課程に入学して2年目であり、日本の河川協力団体に関する研究を始めたばかりでした(参考:CiNii)。全く新しい事例研究に取り組んだ矢先にコロナ禍になったことで、研究がすべてストップしてしまいました。

河川の研究を続けるには経験も、現地のデータも不足しており、博士論文執筆のための計画を見直す必要が出てきました。現地での調査の重要性と貴重さを痛感し、これまで何もしてこなかったことを後悔しました

そこで当時、博士論文では韓国の事例を取り上げる方がいいのではないかと思うようになりました。
元々私は修士課程で韓国の社会運動を研究していました。また博士過程に進学した当初は「日本と韓国の市民社会を比較する」という漠然とした研究計画を立てていました。
新しく始めた研究がコロナ禍で行き詰まる中、もう一度過去の研究に立ち戻って、これまでの経験を活かす方向で再考するのがいいのではないかと考えました。

つまり私の場合、コロナ禍で、博士論文の構想を見直すなかで、海外での調査、経験の必要性を認識していったといえます。

さらに「博士号取得前に海外経験を積んでおいたほうがいい。ポスドクや就職後だと、海外での研究が難しい場合もある」といったアドバイスを多くの先生から受けていました。
私は2020年当時、既に博士後期課程の2年生だったので、予算的にも在籍期間的にも(精神的にも?)2021年が最後のチャンスではないかと考えました。

ただ、このときの私には「最近の政治学、特に現代政治の実証研究の分野では3年で博士を取るようになっているから、この時期に韓国・海外に行くということは最低でも4年は在籍することになり、遅れを取ってしまうのではないか」という懸念もありました

そこでこのような懸念を指導教員に相談することにしました。
すると、指導教員は「3年で取るのは今でも難しいから気にすることなく行ったらいい」と韓国行きを後押ししてくださいました。またそれだけでなく、韓国にいる知り合いの教員を紹介していただくことになりました。
こういった指導教員の後押しもあり、ようやく私は韓国行きを決意するに至りました。

Day 365(渡航約1年前)

面談の数日後。さっそく指導教員から延世大学のとある先生から「研究員として受け入れる方向でOKをもらった」との連絡を頂きました。さっそくその先生に連絡をしました。

学振海外挑戦プログラムへの応募のためには、応募時点で受入研究機関受入研究者を決めておく必要があります。
海外学振とは異なり、受入研究者による承諾の手続きは必要ありませんが、あらかじめ受け入れの許可・内諾をもらい、申請の際に連絡先を含め記載する必要があります。

メール等で連絡して内諾さえあれば申請は可能なのですが、外国にいる先生や事務に連絡すること自体が申請へのハードルとなり、結果的に相対的に少ない申請者数、高い採択率の背景になっているのかもしれません。
(さらに、学振DC・PD・海外学振などと同様に若手研究者海外挑戦プログラムも「評価書」という名の推薦書が必要です。指導教員と連絡を取りづらい、学振DCと申請時期がかぶるので「何度も頼みづらい」という心情もあるかもしれません)

また、なんといっても韓国は未だに「縁故社会」の側面が強いと思います。
なんにせよコネがものを言いますし、コネがあればものごとが非常にスムーズにいきます。大学とのやりとりもそうですが、調査の際のインフォーマントとのやりとりなども同様です。
(韓国のインフォーマントとの方と話していると「日本の〇〇さん知ってます?」っていう話をよくされます。)

したがって「これから韓国で現地調査したい」「韓国の大学で研究したい」けど「現地に知人がいない…」という方は、まず日本国内にいる繋がりから現地の研究者やインフォーマントに連絡することをお勧めします。これの点は他の国・地域でも同様かもしれません。

私は指導教員のコネを使って受け入れ教員に承諾をもらい、なんとか「1回目」の申請にこぎつけたわけです。

ここで「1回目」と書いているように、私は2020年8月の1回目の申請では「補欠」となり、2021年3月の2回目の申請で「採用」となりました。
以上のような資金調達の都合もあり、受入先への連絡から渡航まで1年ほどかかってしまいました。

次の投稿では、渡航までの1年間のゴタゴタ、採用〜渡航に至るまでの経緯について書こうと思います。

次回は2/8更新予定です。

*写真は渡航時(2021年8月)の薄暗く人が全くいない関西国際空港の様子です

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