地平線の先にある混沌としたユートピア。
ある写真との出会い
中央にいるトナカイとその前にたたずむ人間の子ども。手前には色鮮やかな草花が茂り、奥には砂地のようになにも生えてない丘がある。
3年前、たまたま見つけたとある写真。
わたしは一瞬で心を奪われてしまった。
この写真に、この世界に、この混沌とした風景に。
コレを見た時、対極でも対称でもなさそうなそれらが交わり合っているこの場所が、自分がいるこの地平線の続く先にあるなんて、信じられなかった。まだ誰も知らない豊かさや幸福のようなものがあるのかもしれない。そう思ってしまうほどに奇妙で神秘的で。
さらに、ここへは馬でしか行けないのだとか。ますますわたしの好奇心は駆り立てられた。(実際はヘリでも行けるらしく、現地でわたしたちも見た。片道50万ほどする富豪コース。)
きっとこれは、ユートピア。
行こうとしないと見れない景色だ、行けないところだ。いや、それだとしても行けないのかもしれない。でも、行けることがあるのなら…。自分の目でも、この世界を見てみたい。
そう思っていたら、行けてしまったのが今年の7月。まさかたった3年で来れることになろうとは。(前段階で前年にもモンゴルには行っていた。その時の投稿は⬇️。)
ユートピアだと思っていた場所は
しっかりとリアルの中にあった。
ツァータンがいる森の奥へ…
わたしが行きたいと思っていたこの場所は、「ツァータン」(ツァー=トナカイ、タン=持つ人)と呼ばれる少数民族が暮らす集落だった。モンゴルとロシアの国境沿いにあるタイガの森の中でトナカイと共に四季折々、複数の宿営地を移動して暮らしている。
ここに辿り着くには、モンゴルの首都ウランバートルから近くの都市まで飛行機に乗って1時間。そこから車で3,4時間の道のりを3回ほど、キャンプに泊まりながら2日がかりで向かった。さらにその後馬に乗って6時間、谷・森・山・丘を越えてようやく辿り着くのがツァータンの集落である。
馬に乗ってからの行路は、肉体的にも精神的にもハード過ぎて終盤は泣きそうだったし、着いた頃には大の大人がみんな疲れ果てて何も喉を通らないほどだった。けれど、同じ苦痛を味わうのかと怯えていた帰り路では、5時間の道のりも楽しみながら進めた。
人は限界を越えて見える世界があるのだなとか、越えてしまうと案外'たのしい'に変わることがあるのかもとか、そんなことを思ったりなどした。
滞在中は、トナカイに乗ってお散歩したり、村のナーダム*でモンゴル相撲を見たり、長老に野草ツアーを、奥さんに石占いをしてもらったり、村のお母さんたちがトナカイの角で作った民芸品のマルシェでお土産買ったりした。
※ モンゴルの伝統的なスポーツ大会・お祭り
行き道のような過酷な状況とは打って変わって、とても穏やかな時間だった。草原に寝転がるお母さんやおじいちゃんの上に、子どもが無邪気に乗っかってじゃれている姿は、なんとも微笑ましかった。
トナカイを飼う≠所有
その中で、長老の元へ挨拶に行った際、長老のお話から思い出したことがあった。あの時のアレは、ツァータンの人々のこの思想と近いのではないのかと。
その長老のお話とは、トナカイとの暮らし方についての話。わたしがトナカイに乗りたかったのでそれが可能か聞いたところ、「乗ることはできるが、それはあなたたちがいる間にトナカイが帰ってきたらだ」と言われた。ん? 頭上に' ? 'が浮かんだ。
聞くと、トナカイは暑さが苦手で涼しいところに向かうと。そのため帰ってこない日もしばしばあるのだとか。乳搾りもトナカイたちが帰ってきたら。狼に襲われて数頭いなくなることがあっても、それは自然なことだから仕方がないのだと。
たしかに言われてみれば、この集落には柵も囲いもなかった。行きの道中にも集落からは少し離れた丘の上でトナカイが出現してきたし、昼頃や夕方には人が何もせずとも帰ってきている。ただただトナカイが涼しさと食を求めて山と集落とを行き来しているようだった。そこに人の管理はなくて…。
それを聞いた時に思い出した。
以前、友人とある宿に宿泊しに行った際、話題に出た「羊どろぼう」のことを。その時頭に出てきたことを残していた。
冬にはトナカイの干し肉を食べたり。観光客がトナカイに乗ったり写真を撮ったりしたらお金を貰ったり。そういう ''人間のためのトナカイの活用'' みたいなことはしているらしい。
とはいえ、長老の話から、ここの人々はトナカイを「わたしたちのもの」とはしていなさそうに感じた。自分たちが所有しているもの、だとはしていないような。ともに暮らしながら、使えるところは使う。でも使えないときはしょうがない。彼らも自然の生き物だから。
どちらもが存在するものとして対等なんだ、と思った。だから管理しない。執着しない。
「わたしのもの」なんて、実はないのかもしれない。全て、自然や大きな流れの中の一部であって、もしかしたら所有していると言えるものなんて、ないのかもしれない。それでも区切って所有したことにしていくことで、今の社会が成り立っているのも事実。
ここの人々だって、こういった思想はトナカイに限った話かもしれない。ここにはしっかりと資本主義の恩恵を受けた生活もある。通訳のツェギーさんによると、若い人が出稼ぎに行き年老いた人たちは年金をもらって暮らしていると。または少数民族に向けた国からの助成金があるのだとか。
ただ、そんな現実を生きながらもやはり、彼らは自然の一部だということを忘れていない。
ともすれば、わたしたちは物、人、経験、自分でさえも、自分の手の中にあるものだと思ってしまう。わたしが得たものだと思ってしまう。わたしが管理できるものだと。
もちろん個人の意志は大切だと思うし、
個を尊重することも必要だ。
でも、忘れてはいけない気がする。誰しもがたくさんの時間やいのちが巡り巡った今一点を生きているということを。全体・自然の一部だということを。世界は「わたしだけ」で、成り立っているのではないのだから。
以前の宿での出来事も、この写真との出逢いも、今回ツァータンの元に行けたことも、やはり全てをコントロールすることはできなかったなと思う。
人からの援助や、いろんな恩恵を受けて今のそれらがある。そのことを、忘れないようにしよう。
モンゴルの果ての地で、そう思った。
地平線は続いていた
長老のそんな話を聞いて、トナカイたちに会えないこともあるのかと悲しんでいたけれど、その日のうちに会うことができ、別日には乗って数十分ほどお散歩することもできた。
お散歩の帰り道、自分で帰ってみるかと言われ、引いてくれる人がいない中ガタガタするトナカイの上に乗り、元来た道を帰ってみた。道を逸れたりすることはなかったので、ある程度安心しながら進みはしたものの、集落に近づいてきたらどこで止まっていいかわからない。どうしようかと迷っていたら、トナカイの持ち主のお父さんが近寄ってきてくれた。すると、トナカイたちはトントンとうれしそうにお父さんに近づいていく。このトナカイたちはお父さんのことが好きなんだなぁと感じた。まるでその姿は、ペットで飼われている犬のようで。
わたしたちが今生きるこの場所と
地平線は続いていないように思えていた
理想郷のようなモンゴルの奥地。
でもそれはしっかりと続いていた。
リアルを生きる、ユートピアに。
地平線の先には、
混沌としたユートピアがあった。