「書く」を忘れない。
7/23は、「文(ふみ)の日」
ということを知ったのは、日付けが変わる1時間前。
「手紙」は、時を超える。
「打つ」だけじゃなく、「書く」も忘れたくないと思った。
わたしには、大切にしているレターボックスがある。箱というよりは袋に近いけれど、
高校卒業時から今まで、貰った手紙は全て残して、そこに閉まっている。
お誕生日にもらったメッセージカード、
卒業などの節目にもらった手紙、
お土産と共に入っていたメモ、
寝てる間に出ていくねという置き手紙。
なんとなく捨てたくなくて、残したくて、
全部全部とっていた。
そんなレターボックスを、わたしは昨日久しぶりに開けた。
ある人から貰った手紙を読みたくて。
ひとつ読むつもりが、これは誰からだろう?と手に取り出してからは、
開けて読んではニヤけ、開けて読んではニヤけを繰り返していると
いつの間にか1時間なんてあっという間だった。
出かける時間になり、
急いで片付け玄関を出たのだけど、、、
なんだこのほっこり感は。
一つひとつの手紙から、その内容や当時のいくつかの場面が思い出されて、歩いてる時もまだ口元が緩んでいた。
あの子は字が綺麗だったな、
あの子はA4の紙を手紙風に折って渡しあってたな、
この手紙といっしょにあんなプレゼントくれたっけ、
これはあの時のだ、、!!
忘れたくなくて残していたはずの手紙だったけど、
やっぱり人は忘れていく生き物のようで、
わたしは内容を覚えてはいなかった。
それでも、読むと数秒ずつコマ送りで蘇る当時の情景に、わたしは過去にタイムスリップしたように感じた。
手紙を通して、時を超えた感覚があった。
ただ画面の奥の統一された文字ではない。
あの子が書く綺麗な字、
あの子のユーモアある行間、
あの子の色使い、
あの子がよく使ってた便箋。
そうやって、
その人の個性や選択が詰まった「手紙」は
いつかのあの時に戻してくれる。
今では、
ペンと紙を用意しなくても、
手を汚しながら書かなくても、
わざわざ会わなくても、
想いを伝えられるツールがある。
それでも、
たくさんの選択を通して
その人だけのオリジナルが詰まった「手紙」は、
"あの時のあの子"を鮮明に想い出させる。
便利もいい、楽もいい、
だけど、時々手間をかけてみたい。
あの子にはこの柄がいいな、
ここにどんな絵を描こうか、
その手紙が読み返される時、
あの子もほっこり、笑顔になれたらいいな
そんなことを思う
"今のわたし"も少し添えて。
時を超えて、あなたに会いに行けるように
わたしは「書く」を忘れない。