母の生きた時代
母は81歳です。昭和18年生まれ。戦後の貧しい時代に産まれ、京都府福知山という盆地の寒さ厳しい土地で育った。母の母は幼い頃に病気で亡くなり、ほどなくして、父は再婚した。兄と自分は前妻の子で、新しい母に息子が生まれた。中学を卒業して、京都で住み込みで和裁の仕事をしていた。福知山の知り合いを通して父と見合いして結婚した。25歳で結婚したから、当時としては遅い方だった。あまり過去を語らない。
自分の母がステップマザーだったことはやはり気を使っていたのだろう。私には好きなように生きて欲しいと言っていた。
母の時代は、そういう時代だ。そう言ってしまえば、元も子もないが、確かに価値観は今とは違う。女性が家事、裁縫など出来て当たりまえで、出来なかったら、嫁ぎ先(この言葉も今は使わないか)で恥をかく。
母はなんでも早くと促した。「さっさとしなさい、遅いのは誰でもできる」が口癖だった。去年まで掃除の仕事を15年続けていたが、新しく入ってきた人を批判する事が多くそれを聞くのにうんざりしていた。「この年になってこんな事もできへん」とか、「来てすぐにタバコすう所どこですか?って聞くねん。普通は聞かんやろ」とか「言ったこともできへん」とか文句ばかり言っていた。シルバーのバイトなんだし、掃除のバイトなんだから、お客さん相手でもないし、のんびりまったり楽しく笑いながら働いたらいいやんと思っていたが、それを言うと母の気分を損ねると思って言わなかった。
妹も同じでうんうんと聞きながら、母の人に対する優しさに欠けるのを感じていた。
「遅いのは誰にでもできる」と母はよく言っていたが、「遅くてもできない人は世の中にいっぱいいるよね」というのが私たち姉妹の結論だ。母の2人の娘はそれなりに出来た娘だったのだ。
母は新しい人に厳しく、何人かすぐにやめて、たぶんそれは母のせいだが、母はそれにイライラして、とうとう体を壊して仕事を辞めた。仕事で体を壊すのは、何のための仕事か分からない。仕事はお金を稼いで幸せになるためにするのに。
母は仕事を辞めて、のんびりとした生活を楽しめるようになった。めでたしめでたし。