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もし息子が小学校で支援学級に行っていたら

特別支援学校で手厚いサポートを受けたので特別支援学校がいい、ニーズのある子には有効だと思っていた。しかし、ふと息子が小学校から特別支援学級に入るか、支援学校に入学していたらと想像したらぞっとした。そうしたら、きっと今のような友達はいない。息子には小学校の時からの友達と今でも遊んでいる。10人ほどで高校卒業時の卒業旅行に行ったのも高校がばらばらの中学時代の友達だ。今は昔ほど頻繁に集まれない事を息子は寂しく思っている。しかしお盆は10人以上が一つの家の庭でバーベキューをする。羨ましい友情だ。

息子の小学校、中学校は支援学級はあったが私はどんな風だったのかほぼ知らない。中学校では私が息子に支援学級がいいのではと思って調べたら、知的のクラスと情緒のクラスが各学年1クラスずつあった。小学校は何クラスあったのか、どんな子がいるのか、誰一人知らない。運動会の時、支援学級の生徒も少しは参加していた。中学校の支援級の生徒の事は何も知らない。

もし、息子が特別支援学級だったら、そうなっていただろう。皆に知られず、友達もできなかった可能性もある。勉強のレベルがついていけないとか、クラスでじっと出来ないとか、そういう理由で、排除することはその子の世界を閉ざすことになる危険性がある。

息子は小学1年生の時から、学習面では問題だった。私はそれほど気にしていなかったのだが、1学期が終わってもひらがな、カタカナをすべて覚えていないと担任に告げられた時はそんな事が出来ない事と、(息子の能力は差し置いて)それを教える事ができない担任にも驚いた。顔には出さなかったが。私の時代は、「あいうえお」から教えてくれるものだったが、今は入学時にほとんどの児童は読み書きができるので、昔ほど時間を取らないという事もきいた。個別に教える事も不公平だからできないとも聞いた。あの時に私が知的な問題を疑って、発達検査などを受けていたら、支援級に行く事になっていたかもしれない。

そういういろいろな可能性を考えると、息子の通ってきた道(普通小学校、普通中学校、特別支援学校高等部、専門学校)というのはラッキーだったと痛感する。友達がいて、特別支援学校高等部で自立に向けてサポートしてもらえた。特別支援学校の先生は、地域の大人たちに子供を知ってもらう事が大切とよくおっしゃっていた。だから、文化祭にも地域の人が来やすいようにされていた。野菜や手作りお菓子を販売したりされていた。

いろいろな人と関係を持つことはその子の権利だと思う。そういう意味でインクルーシブ教育はいいとか悪いとかじゃなく、必須だ。

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