興味のないものを勉強する事は意味があるのか。
私は、小学校、中学校の今のシステムは、得意なところには、注目せず、苦手な所に注目し、それを平均にしようという所が、よくないと思っています。
苦手な所は、目をつぶってでも、得意な所をもっと伸ばせばいいのにと思っています。
苦手を平均にできたからといって、それが、社会に出て役に立ちますか?
それより、秀でた1つを持った方が、自信にもなり、いいと思っています。
今日、英語学習をしていて、おもしろい発見をしました。
リスニング力をあげるために、日本人の先生と、ニュースの記事を読まず聞くだけにして、理解した内容を先生に説明するというのを、もう数カ月続けています。
内容が分かった!と思う時と、全く分からない!と思う時、さまざまです。
英語の難易度は、同じレベルなのにです。
先生が指摘して、納得したことは、
「なみささんは、興味ある記事と、そうでない記事と、はっきりしすぎていて、興味のない記事は、聞こうとしていない感じ。」
今日の記事は、将来コウロギを食べるという記事だったのですが、
「コオロギなんて、食べたくないです。それなら、野菜でいいわ。」と言うと、そこで、拒絶してしまっているんじゃない?と言われ、納得しました。
私の興味のあるのは、教育、子育て、病気、健康法、映画、など。
反対に、科学的な事、生物の事、などは、興味がないし、
昆虫は、昔、怖くて、理科の授業中、苦痛でした。
先生は、私の気分を害さないように続けました。
それが、なみささんのいい所でもあるけれど、英語学習には、障害になるよね。
感情を入れずに、無の状態で、記事に臨む必要がありそうです。
そして、それは、私にとっては、一つの修行的な試みです。
ただ、それを子供に強いるのは、疑問です。
やってみたら、興味がわくかもしれませんが、逆に嫌いになる可能性もあるからです。
私は、子どもたちが勉強してほしいとか、あまり思いませんが、
勉強しないのは、勿体ないと思います。興味のない事をする必要は、
ないと今も思っています。