生まれてきた意味を探していた
小学生の頃から私はなんの為に生まれてきたのか、死んだらどうなるのか。気になって仕方がなかった。中学に入っても死後の世界があるのか興味があった。守護霊とか先祖が守ってくれるとかそういうオカルト的な話も好きだった。
前世で成し遂げられなかった事を今世でするために産まれるのだ。
本当か分からないけれど、そう考えるとロマンチックな気がする。
大学の時に仏教の授業で、「袖振り合うも他生の縁」という言葉を教わった。他生とは前世のことらしい。大学は親鸞の真宗大谷派だった。仏教にも輪廻転生を否定しているものもある事を数年前に知った。人生は一回きりだったら、生まれる意味なんてないのかもしれないが、続きがあるという事は課題があるという気がしてならない。
生まれてきた意味を見つけるのは不可能なので、あきらめた。生きた証を残したいと思うようになったのは中学生の頃だった。その頃思いついた方法の一つは小説を残すことだった。夏目漱石は知らない人はいない、生きた証だ。
結婚して子供を産んで育てて、これが私の生きた証なのかもと思った。子孫を残すこと、子供に私の生き方を見せる事が生きてきた意味なのかもと思った。