勉強や、成績に対しての子供への期待についてと、大人になってからの勉強できる幸せ
子育てを経験すると、自分がされてきた子育てを思い返す事になります。いやでも、思い出されます。
何かで読んだんですが、
子育てで、するのは、2つ。
一つは、親にしてもらった事。
もう一つは、親にしてもらえなくて、してもらいたかった事。
これは、正しいような気がします。
私の子供は、服とか、あまり、新品を買わず、近所の人にもらっていました。
ありがたい事です。
しかし、娘は、「子供が産まれたら、可愛い服いっぱい買ってあげたい」と言います。まさに、このもう一つの、してもらいたかった事なんですね、きっと。
英語も、小さい頃から、習わせたいそうです。
果たして、孫は、新しい服、英会話教室を望むのか。
それはさておき、
私は、子供たちに、「勉強しなさい」と、ほぼ言った覚えがありません。
言わないでおこうではなく、成績とか、通知表とか、どうでもいいとまではいいませんが、ほぼそんな感じです。
だから、子供の通知簿がどんなだったか、覚えていませんし、自分の通知簿は、捨てました。
下の息子が、オール1を取った時には、「なかなか取れんで。あとは、上がるしかないなー」と、言いました。
実際、私も、中学3年生の時、家庭科の先生に反抗して、1をもらった事があります。
それでも、親は、何もいいませんでした。
そう、うちの親も、成績に対して、無関心でした。
小学校6年生の時、オール5(もしかして、3段階)をとった時、母親は「誰でも、取れるやろ」と言われました。
母親から、勉強しろと言われた記憶は、ありません。父親からも。
中学の時、夜勉強していると、「風邪ひくから、早よ寝いよ。(寝なさい)」と言う親でした。
私の妹は、勉強しなさいと言わない親に対して、見捨てられたと、思ったらしく、勉強してと言って!と、母親に頼んでいました。
母は、「⚪︎⚪︎(妹)に、勉強しなさいって、言ってくるわ」と、心無いのに、勉強しいよ、と、時々言っていました。
結局、勉強しなさいと言ったからといって、勉強するとは、思えないという考えが、身につきました。
私の両親は、勉強が、出来すぎるのを、恐れていたようです。
恐るには及ばす、蛙の子は蛙なので。
私が、四年制大学に行きたいと言った時、父親は、女が学歴つけたら、婚期が遅れると、まじめに心配していました。だから、大学に行くからって、愛想のない女にならないでと、お願いされました。
妹は、私よりも、ずっと成績はよかったにもかかわらず、指定校推薦で、女子大にいきました。
後日、できたら、もっと上のレベルの四年制大学、行きたかったと、私に打ち明けました。妹なら、楽に合格出来たと、思います。
もう30年ほど前の、話なので、まだまだ、そんな考えが当たり前でした。
先日読んだ、中野信子さんの『ペルソナ』にも、同じような事が書かれてありました。
私も、もっと勉強したかった。
そうだ、今から、勉強しよう!
社会人になって、勉強できる幸せは、学生さんには、わからないと思う。
毎日、勉強できて、幸せです。