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夫の実家で同居した話③再び別居
同居して3カ月が経って長男が幼稚園年中クラスに通い始めて、ママ友もできました。ママ友に同居の悩みを話すことはしませんでした。なぜなら、みな同居で、地域がつながっているので、どこから話が漏れるか怖かったのです。地域のママ友は優しくしてくれました。
夫の地域には、消防団という地域の青年で作られるものがありました。夫人会もありましたが、それはお姑さんたちの会で、嫁には「若妻会」というものもあり、それに私は入る事になっていました。一度食事会に行ったことがあります。
そうして地域ともつながりつつ、この地域でやっていかなければという気負いもありました。しかし、毎日の生活はしんどかったです。朝は、6時まで台所を使えるので、5時ごろから朝食の用意、幸い夫も会社の食堂を使い、幼稚園も給食があったので、お弁当を作る必要はなかったです。昼ご飯はお姑さんと一緒なのが嫌なので、外で食べるか、パンなどを買って2歳まえの娘と食べました。夜は6時まで台所を使えるので、それまでに夕食、ささっと子供たちに食べさせました。私もその時に食べるか、置いておいて夫と食べるかして、台所を6時までに綺麗にしてあけないといけません。夫は帰りが遅く、12時なることもあり、早くても10時なので、夫がお風呂に入った後、私もお風呂に入る生活で、睡眠時間は本当に少なかったです。さらに、妊娠が重なり精神的にも参ってしまいそうでした。
8月くらいになって、訳もなく涙が出たり、トイレが15分くらいで行きたくなったりすることがあり、自分でもおかしいなと感じていました。夫も感じていたようです。夫が、昼ご飯をどうしているのか聞いたので、私は、パンか食べないと答えると、「そんな生活で赤ちゃんが生まれてから、生活できるのか」と聞いてきました。私は、「しないと仕方ないやろ」と半ば投げやりで言いました。
夫はお姑と話しました。そして、言いました。「お母さんが、なみささんがお風呂に先に入った時は、お湯を抜いてもう一度入れ直すのはどうかと提案している」私は、あきれて、「もしそれを毎日して毎日お湯を入れなおしたら、文句出ないと思う?」と夫に聞くと、「出るやろうな」と答えたのです。それから、数日して、夫は、「家を出よう」と言ってくれました。
それでも私は迷っていました。覚悟を決めて同居したのに、すぐに出ていいのかと。あるママ友は、「夫がそういってくれた時に出ないともう2度と出るチャンスはないで」というのです。それもそうだと思い、出る事にしました。
舅、姑、夫、私で夜に話し合いをしましたが、私は一言も口を開きませんでした。お姑さんは、「あなたたちが決めたんなら、それでいいよ」と言いました。お舅さんも何も言いませんでした。そういう人でした。寡黙ないい人です。
それで、10月に引っ越しました。話し合い以降私はお姑さんとは話をせず、引っ越しの日も挨拶もせず出てきました。お姑さんも奥に入って顔を合わそうとしませんでした。平日で夫は仕事でした。