小学校の音楽の先生に教えてもらった事
私の通っていた小学校に、コーラス部があって、熱心に活動していました。
NHK全国学校音楽コンクールや、MBSの大会に毎年、参加して、賞をもらう事も多かったです。もう40年くらい前の話です。
コーラス部には、4年生から入れるので、私は、早く入りたいと夢見ていました。
コーラス部の練習は、放課後(毎日ではなかったと思いますが、結構多かった記憶があります)
夏休みも、半日練習がありました。
パート練習では、6年生のパートリーダーが中心になって、進め、全体練習へと進みます。
あとは、腹筋などの基礎トレーニングもしました。
私は、毎回最初にする、「あーあーあーあーあ」(ドミソミド)という発声練習が好きではありませんでした。
6年生の頃、京都大学の男子学生のお一人が、私たちの歌声を気に入ってくれて、指導したいとわざわざレッスンしてくれました。
たぶん、その道のプロを目指していたんでしょう。とても厳しく、熱心にレッスンしてくれた記憶があります。
しかし、私たちのコーラス部の先生は、その学生の練習を途中で、断りました。
なぜなら、子供らしさが失われていったと後に私たちに語ってくれました。
あなたたちは、今のままの方が、のびのび、生き生きしていると。
確かに、彼のレッスンは、まじめで、楽しいものではなかったです。
コーラス部の先生は、音楽の先生でもありました。
私の母くらいの年齢だったと思います。なので、30代後半なのか。
優しいとは、言い難い。厳しく強い人でした。
指導の仕方も、ほかの先生とは違うと感じていました。
あまり怒ったりはしません。
私たちが、練習をまじめにしなかったり、ふざけたりしていると
「どうして、あなたたちは、できるのに、しないの?」と問いかけるのです。それは、私にとっては、刺さりました。怒られる方が、流せたのです。
コンサートに行く電車で、しゃべっていて、だんだんと大きな声になった私たちに、「コンサート前に、声を大切にしなさい。」と厳しく言われた時は、心から反省しました。
先生は、夏でもタートルネックを着ていました。のどを守るために。
厳しい先生ではありましたが、大好きな先生でした。中学生になっても、何度も先生に会いに行きました。将来の夢を先生に話したこともありました。
中学2年生の時、同級生からの電話で、先生が自転車に乗っていて、車にはねられて、重体だと聞きました。
数日後、先生は、お亡くなりになりました。
みな、ショックでした。
先生の13回忌を小学生の同窓生でしようという話が出て、たくさんの同窓生が集まりました。私が大学生の時です。
言い出してくれたのは、当時の同期の先生でした。
私たちは、音楽の先生のおうちに、お邪魔しました。資料を借りる為です。先生は、子どもたちの姿をビデオにとられて残しておられました。校内コンクール、コーラス部のコンサートなど。
その中から、先生が映っている映像をつなぎ合わせて、小学校での13回忌の偲ぶ会で流そうという事になりました。
部屋には、たくさんのビデオ、今のようなデジタルではなく、ビデオテープです。私たちは、手分けして、家でチェックし、何分何秒のところで、先生が映っているとメモし、編集しました。
13回忌の「先生を偲ぶ会」では、100人くらいの人が集まりました。
先生に音楽のすばらしさを教えられて、音楽の道に進んだという方もいらっしゃって、「メモリー」を歌われていたのが、印象的でした。
先生の性格をみな、想い、楽しい会にしようと、笑いの会になりました。
先生の夫さんと、娘さんも出席してくださっていました。
娘さんは、私を同年代で、大学生でした。
その時、初めて、気づいたのです。
私たちは、先生をこの家族から、取っていたなと、取っていたというのは、言いすぎですが、娘さんが小学生の時、忙しいお母さんに寂しい思いをされていたのだろうと、思いました。
私が、先生から教えていただいたことは、凛として、すべきことを淡々とこなしていく事。甘えない事。
まだまだできていないと、「どうして、できるのに、しないの?」と言われそうです。
先生、ありがとうございました。
#忘れられない先生