永遠(とわ)。日がな一日。恋焦がれた、あの頃の自分。
僕の休日は静かだ。
なにもやることがない。
僕には、趣味と呼べるものがない
なにもない世界。だれからも干渉されない世界。
一緒に遊ぶ、友だちがほしかった。お互いに愛し合う、恋人がほしかった。
そんな幻想を抱いていた時期もあった。
学生と違い、社会人の休日は孤独である。独身の場合。
なんとなく手に取った『ゲシュタルト療法』倉戸ヨシア先生の本。
本を片手に過ごすのは悪くない。
ゲシュタルト療法を学んで分かったことは。……
相手の立場になってものを考えたりすること。
未完了の経験。自分の中で解決していないものを扱うのである。
※注意 ゲシュタルト療法もそうであるが素人が人に施してはいけない。
なぜなら、心理療法はその人の人生、命に係わることがある。
最後まで、終いまで、責任をもてないなら、手を出さない。僕は。
なぜ、心理療法を人に施してはいけないかといえば……
必ずしも、寛解の方向に向かうわけでないからである。
その人の状態に合わせて、時間のペースも考えて施さなければ
翻って、状態の悪化を招くのである。
では、僕が心理療法を学ぶのは、なんのためであるうか?
それは、心理を学ぶことは、自身のこころを豊かにすることに繋がると信じている。からである。
心理療法の本を読んで、自分に当てはめてみる分には、問題はない。
人に施してはいけないのである。相手がいるものだから。責任なんて取れない。
セルフケアのワークブックのようなものと、僕は考えている。
話がそれたが、
ゲシュタルト療法の魅力は、
エンプティチェアにて、架空の対象をつくって対話する。
空の椅子に、相手が座っていると見立てて、対話をするのである。
僕は、人格者ではない。
どうしても、人生の中でしこりのようなものがあり、
今まで頭を痛めてきた、悩ませてきた案件があった。
それを今回、思いきって、
ゲシュタルト療法-エンプティチェア技法にて、実践してみた。
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僕。「お前のせいで、僕の人生がダメになった」と
「マジで、赦さんからな!!」と
僕は、架空の対象に向かって、声を発っしてみた。
すると、相手も応えた。
架空の相手「悪いと思っている。すまなかった。」と……
???……
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今まで、僕は、相手のことを恨むばかりであったが
この状況下で、架空の相手の気持ちが聞こえたような体験をした。
これは、アハ体験である。全く今までにない気づきを得た。
喉に閊っかえていた“しこり”が消えていく感覚があった。
少なからず、相手も人間である。未完了の経験。……
本当は問題は解決しているのは知っていた。
僕の中で、自分の中で、どうしても許せなかったのだ。
短い劇のような、ロープレで、閊えていた、わだかまりが消えた。
不思議な体験であった。