自分で選ぼう
私は過去に4年間、小学校の外国語(英語)活動指導員をしていたことがある。その際私の決め事は「絶対に怒らない」ことだった。表に出さないだけでなく、自分自身の心を常に凪にしておくこと。それを自分に課して守り続けた。
しかし、その中でたった一度だけ、涙が出る程腹が立ったことがあった。表には出さなかったけれど。
私が行っていた40程のクラスの中の、あるクラス。半分崩壊中。
崩壊クラスの特徴として、授業中に意味もなくニヤニヤとしている子どもがやたら多い。授業の内容よりも何かが起こるのを楽しみに待っていて、そちらに関心があるような雰囲気。
そんな中にも大体数人は目をキラキラさせて授業を受ける、良い意味で「空気を読まない」子がいて、そんな子たちは常にクラスの目立つ子どもたちに笑い者にされていた。
ある時役になりきって英語で演じる授業の中で、キラキラくんが自分なりに考えた役柄を真剣に演じていた。
そこで彼に罵声を浴びせ、周りも巻き込んで笑い者にしようとした子がいた。周りの子どもたちは、明らかにその子に気を遣ってわざと声を出して笑ったりニヤニヤしたり。本当に嫌な雰囲気に包まれた。
腹の底から怒りを感じたけれど、そこで怒りに任せて叱ってみても逆効果なことはわかっている。なんとか最後まで授業を終えて、最後に大きく深呼吸をして静かに話をした。
『あのね。みんな英語がどうして話せないか、わかる?
足を引っ張る人がいるのよ。何でもそう。誰かが何かを頑張ろうとしていたら、慌てて足を引っ張って先に行かせない人がいるの。
頑張る人を笑う人がいるの。
でもね、笑われても自分の目標を持ってグイグイ進んだら絶対笑っている人よりもずっとずっと成長できるし、前に進める。
あなたは、人の頑張りをただ笑うだけの、何も成長しない人になりたいですか。それとも笑われてもグイグイ前に進む人になりたいですか。
それはね、自分で決められる。どちらにもなれるの。だから、自分で決めてください。どっちを選ぶかは、あなた次第。
そして、私は笑われても頑張る人の方を全力で応援します。』
笑われた子も笑った子も、周りで従った子たちも、誰の名前も出さず、私は、ただ届けたいメッセージを届けるだけにした。届きますように、と祈りつつ。きっと笑った子にも彼なりの事情があるはず。でも彼にも自分で決めて欲しい。
誰も責めずに、ただチャレンジした子はチャレンジをそのまま続けられる様に。自分の意志ではなくただ空気に従って笑ってしまった子どもたちは、もっと自分を強く持てる様に。そして、人を笑ってもバカにしても満たされないものを抱えている子が、自分を愛せる様に。
たくさんの願いを込めて、話した。
授業が終わった後、片付けをしている私のところに数人の女の子がきた。
興奮した様子で口々に「先生、私、笑われても頑張る人になります!」と言った。
あの日のことを今でも時々思い出す。空気は怖い。
でも、淀んだ空気に支配されてしまいそうな中でも、自分を強く持って希望に向かう子どもたちが、そういう大人たちが、もっと増えます様にと願う。
通りすがりの出会いだとしても、自分らしさを取り戻すきっかけになることもある、そう信じて学習者のみなさんと真剣に向き合っている。