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善い人でいたい

 人って本当は善い人ばかりなんだと信じてる。そんな私は性善説を信じているのか。否。どちらかというと性悪説を信じてる。
 子どもの頃。それまでは自分がどんな人間なんて考えたこともなかったけれど、学校の集団に入った時に、自分の中にある人への競争心や妬み、いじわるな気持ちに気づいて嫌な気持ちになったのを覚えてる。でも私の嫌な気持ちに反して、そんな心の迷いはどんどん大きくなって、更に集団に馴染むための悪知恵や間違った方法…雪だるまが雪を集めて転がっていくように大きくなった。高校生くらいの時は自分がすごく嫌な人間になった気がしていた。周りに人はいっぱいいていつも賑やかだったけど、自分として生きている手応えがなかった。そして、もがけばもがくほど私は私がなりたくない自分になっていき、自分の心とのギャップに苦しむようになっていた。

 もし当時の私が自分の心に正直になれていたら、私はあの人とは一緒に行動していないし、あの行事にも参加しなかっただろう。無理にあのグループに留まることもなかったし、飲み会なんて本当は大嫌い。人と仲良くするための悪口って何だろ。自分をどんどん削りながら、取り繕った笑顔で必死で集団にしがみついていた。今思えば、あれらは全て未熟で弱い私が集団を生きるための唯一の術だったんだと思う。ただ、性に合ってなかった。
 
 大学を卒業したら、私は一人旅に出た。私のことを誰も知らない、私もその土地のことを何も知らない場所に旅立って、一年間放浪した。信じられるのは自分だけ。相談するのも自分。友達はできたけど、明日行く場所も働く場所も何を食べるかも全部、決めるのは自分。言語も慣れ親しんだ日本語ではなく英語だったので、私はそこで生まれ変わったように自分と改めて新鮮な気持ちで向き合うことができた。自分と向き合って自分の心の声をよくよく聞いてみると、今までどんなに無理ばかりしてきたのかがよくわかる。自分にとって善い自分でいたい、そう強く思った。

 日本に戻っても心は自由なマインドのまま。友達を増やそうとあんなに頑張っていた学生時代の努力はなんだったのか、と思うくらい自分に正直でいられると自分の好きな人が集まってくる。決して多くはないけど、今でも私の親しい人たちは私の心にフィットする人ばかり。温かくて、自分に矢印を向けた尊敬できる友人たち。

 大人になるって素敵。子どもの頃は「大人の社会は厳しい」なんて言われて理不尽にたくさん晒されたけど、あの時の社会が一番きつかった。
 大人の私は今、優しい世界で生きている。友達100人なんていない。でも私は自分が一緒にいたい、愛おしい人たちと生きている。
  
 「悪」とは言い切れないけど、人は弱くて簡単な方向に引っ張られていく。私は自分の弱さも汚さも知っているから、残りの人生、選べるならば私が思う最高に善い人でいたいと思っている。心がけて。打算的にならず、人の顔色ばかり見るのはやめて、誰とも比べることなく、ただ自分の心に正直に生きていたい。

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なみお
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