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白髪の話

 子供の頃、母に「白髪抜いてくれ」とお願いされてプチプチ白髪を抜いていた事を覚えている。

 私が自分の白髪を自覚し始めたのは10年くらい前になるのか……なぜか左前髪の一部分のみに集中発生し、特命リサーチの佐野史郎並のメッシュになっていた。意図して作っていないメッシュ白髪は大変ばば臭く見え、その部分のためだけに私は白髪染めをしておりました。
 しかし私の髪の毛は長い。長い時は腰くらいまで伸びてしまう。そしてまあまあずぼらである。ずぼらな長髪が毛染めをすると、髪の毛がしぬのである。傷んでスッカスカになるのである。
 白髪を隠したい、でも髪の毛傷むのは本当に嫌。というわけで、ここ3年くらいはセルフでヘナ染をしている。白髪染めほどきっちり白髪は染まらないが、目立たない程度には色がついてくれる。
 しかしヘナにも弱点がある。染める時の大変さだ。ヘナはヘナっていう植物とインディゴっていう植物を粉にしただけのものと認識しているけれど、この粉をお湯で溶いて髪の毛に塗りたくる。塗りやすさなどに配慮はない。なぜなら100%天然アイテムだから。
髪の毛全体にまんべんなくこいつを塗りたくるのは、至難の業である。私がずぼらなせいもあるのだろうが、塗ってる作業中にぼたぼたヘナを落としがちでもある(だから私は風呂場以外で毛染め作業ができない)。さらにこれをしっかり染めるには、3時間程度タオルを被って(保温して)放置せねばならない。場合によってはお湯でヘナを落とした後、そのまま1日シャンプーせずに過ごす事もあるようだ。しんどい。大変しんどい。ちなみに私は最初の頃、1日放置にチャレンジしたが、2度めはないな…と実感している。今は我慢できるだけ我慢して、ヘナを洗い流した後にさくっとシャンプーしている。
 あとヘナは染めたあとしばらく臭い。濡れた畳のような匂いがする。風呂上がりに顕著に漂う。濡れた畳の匂いは、まあまあ萎える。

 ちなみにヘナは均一に色が染まるアイテムではない。ヘアマニキュアやカラーシャンプーのように、髪の毛の上から別の色を乗っけるタイプの染料である。なので、黒い髪の部分は色の違いがわからない。一応、トリートメント効果はあるみたいだけれど。
 で、私はここ2年ほど、左の前髪部分にのみヘナを施していた。だって白髪が気になるのはそこだけだから。それ以外の部分には白髪は多分ないはずだから。
 と、思っていた。そしてここまでが多分前置きです。長い。

 今月の15日、長男の26歳の誕生日。
ふと私は考えた。長男が誕生した時、私の母は48歳だった。私は今48歳。あの頃の母と同い年である。そういえばあの頃、すでに母は白髪いっぱいだったな……私の頭は今どうなっているのであろう?
 髪の毛って自分では毎日見ているつもりだけれど、実際に見えてるのは前側の一部だけである。後ろ側の白髪事情がどうなっているのか、私は把握していなかった。
 前髪メッシュ部分が年々拡大していることは把握していたものの、その他の部分については何も考えていなかった。これは確認せねばなるまい!と鏡の前で鏡を片手に後ろ側やてっぺん部分、髪の毛を弄りまくって確認したわけです。いやあ、全体的に白髪が散りばめられておりました。
 あそこに1本、こっちにも1本、という感じで、全体の1~5%くらいかなあ?という程度。今までまったく気にしていなかったのはなぜなのか。せっかく毎月染めているというのに。私のバカ!
 そんなわけで、先程。久方ぶりに頭全体のヘナ染を施しました。
非常に面倒な工程であるけれど、致し方ない。

 思い切ってグレイヘア!と思わなくもないけれど、私のようなグレーっぷりは、なんだか本当に超絶老けて見えてしまうのだよなあ。白くなるならなるで、とっとと白8割くらいになってしまわないものか……。
 なんていう話、前に友達と話したなー。きれいな真っ白ヘアになる人ってすごく少ないと。まあでもいいんだ真っ白じゃなくたって。ほぼ白でも。いいんだ。
 ちなみに現在の母は、ほぼ白になっている。カラーシャンプーを使って、ふんわりピンク色に染めている。羨ましい。私もとっとと真っ白になって、好きな色に染める生活がしたいなあ。

 自分の事は自分が一番知っている、とは思っていない。自分というものを自分自身で360度全ての方向から見ることは不可能だし、遠方から眺めることも難しい。私が自覚できる私は、0距離の自分自身でしかなく、0距離で私を観察することができるのは私だけである。
 だから、他人がする私の評価というのは自分の中で飲み込んでから、適宜採用するのがいいと思っている。塩梅が難しいのだけれど。
 そしてこの自分自身についての事柄は、20代の頭の頃になにか文章にしていたなぁと思い出す。この件に関しては、あの頃からたいして意見が変わっていないな。。

 白髪を観察したことで、このような事をふと思い出してしまった。ともかくも、自分の事を過信するのは危ないし、他人の意見に振り回されすぎるのも危ない。昔の私はこういう事でもっともっと心が揺れたり不安に思ったりしていたのだけれど、今の自分はそこまで揺れないなあ。
 私は自分の後頭部を見ることはできないけれど、鏡を使えば見ることができる。後頭部じゃない色々も、きっと歳を取るごとに確認する手段を得ているのだろうなと思う。思いたい。
 おとなになったら失敗しないなんて事はないし、失敗したなと思うことやそれでちょっと考え込んでしまうことは今だって当たり前にある。
 こういう部分を柔らかく保っていたい。そのためにも、ほどよく表に出て、ほどよく人と関わっていこうと思う。


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