能登半島地震の5時間前に聞いた御言葉
はじめに
長い間、主日礼拝の書きおこしをnoteに投稿することをサボっていました。けれど、今年の元旦礼拝で聞いたこのみ言葉をいま読むと、本当に主は共におられるなぁ、と思ったのでこのタイミングですが、投稿します。
御顔こそ、わたしの救い(詩編42、43編)
昨日の主日礼拝のあと、逡巡をした。祈りの中で詩編42編、43編にたどりつき、御言葉を取り次ぐことにした。この鹿は、緑豊かな川のもとで、水を求めていった鹿ではない。枯れた谷に、とある。これが、書き出しである。枯れた谷に水はない。水があった谷である。本来ならば水が流れる、そのような場所が枯れた谷である。いまは水はない。詩人がいったいどういう人で、何をイメージしたのかは別として、本来なら水のないところに、鹿が水を求めていく。本当なら水があると思って、鹿が谷を下っていくように、わたしの魂はあなたを求めるというのである。
あちこち探しまわっていて、ここの谷だけに水がないわけではない。いろいろ探し回って、しかし水がどこにもない。本来であればここに水があったはずなのに、自分の経験から言えば、当然水がたくさんあったはずなのに、そこに水がない。そのように、私の魂はあなたを求める、と詩人は書き出した。説教の黙想をするときに、いろんなことを前提として、いろんなことを捨てた。イスラエルの人が住んでいるところに、鹿などいない。荒れ地のところ、しかもエルサレムの周辺。あのあたりには、いない。ガリラヤ湖よりももっと北側である。しかし、そこにはガリラヤ湖がある。水がある。人がいるところには、野生のシカはこない。そこは、川など流れていない。カルメル山という山があって、そこのところはキション川という川がある。バアルの戦士と闘ったところである。御祓川のような小さな川である。水は本当に貴重。雨季には水はあるが、それ以外は水がない。
日本の都道府県は、土地が大事だからでこぼこしている。県境がでこぼこしている。中東は定規で線を引いたようにまっすぐになっている。大事なのは井戸、水である。井戸をとるためなら戦う。砂漠においては、土地ではなく井戸のために戦ってきた。その砂漠地帯のところのオアシスを求める。ついに喉が渇いて、脱水症状で死んでしまう。その鹿と同じように、神よあなたを求めてさまよっているのです、と言っているのである。
神に、命の神に、わたしは乾く。昼も夜も、絶え間なく「おまえの神はどこにいるのか」というのである。礼拝するなら、礼拝しにいけばいいではないか。ちゃんと神様のもとにいけばいいではないか。人々から、「おまえの神がどこにいる」などといわれることはない。しかし、5節はこういう。
わたしは魂を注ぎ出し、思い起こす
喜び歌い感謝をささげる声の中を
祭りに集う人の群れと共に進み
神の家に入り、ひれ伏したことを。
この詩人は、かつて神様を礼拝していた。神の民として、神を礼拝していた。そういう経験があるのに、いま彼は、神の前に立つことができないでいる。
6節はこうである。
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
「御顔こそ、わたしの救い」と。
これは、この詩人の嘆きの言葉である。そして、このように続く。
わたしの魂はうなだれて、あなたを思い起こす。
ヨルダンの地から、ヘルモンとミザルの山から
あなたの注ぐ激流のとどろきにこたえて
深淵は深淵に呼ばわり
砕け散るあなたの波はわたしを越えて行く
ヘルモンの山々がある。南王国ユダが攻めてきた歴史がある。北王国イスラエルはBC722年、南王国ユダはBC587年にそれぞれ滅亡した。そして、南王国ユダのひとたちはバビロンに捕囚されていく。北王国は、バアルの神に従っていくことを決めて王国の建設をしていった。南王国では、神殿を持ちながら、自らの力をたより、神に頼ることなく、異教の神を取り入れながら、神殿の中に、異教の神の祭壇さえつくっていった。なぜ、神様はわたしを捨てられたのか。なぜ私は神をあおぐことができなくなったのか。なぜ、ひれ伏していたのに、それが許されなくなって捕囚の民として連れていかれたのか。たぶん、間違いなく、捕囚へと連れていかれた一人の信徒が、バビロンの地で、嘆きながらこの歌をうたっているに違いない。北王国イスラエルが神を捨てたからである。なぜ神が見捨てられたのか。いやいやなぜ、私が神と共に生きることをやめたのか。彼は知っているのである。なぜ、自分が神様を礼拝できなくなったのか。理由を知っているのである。自分たちが神様を捨てたということを。あなたの裁きが、私の心の渇きになっている。
あまり、1年最初のメッセージにふさわしいものにはなってはいないかもしれない。これが、分かっていて、その現実を受け止めている詩人がいるのである。自分は神様を求めているのだが、神様を礼拝する群れがあるのを知っているが、自分の力ではどうしようもない、歴史のなかで翻弄されている自分がある。神様はイスラエルを裁かれた。自分はその中で私を含むイスラエルを、ユダを裁かれた。自分は信仰者として忠実に生きようとしても、裁きの中で生きなければならないということを知っている。だから、絶望の祈りしかできない。
昼、主は命じて慈しみをわたしに送り
夜、主の歌がわたしと共にある
わたしの命の神への祈りが。
神様から裁かれ、見捨てられても、神の前に立つことが許されなくても、ひとりぼっちでいたとしても、夜、主の歌がわたしと共にある。主を賛美する歌声を出すことができる。なぜか命が与えられている。命の神への祈りが、私の口に与えられている。八方ふさがりになることはある。しかし、安心したまえ。そんなあなたでも、天はあいている。神に祈ることはできる。あなたのうえに開いている天に向かって祈りなさい。神学生のころにきいた。
神様を賛美する歌は歌うことができるし、なんでこんな目に逢わなければならないのか、と祈ることができる。人に言えば愚痴になる。しかし神に言えば祈りになる。前任者の今村先生の言葉である。10節は、まさにその祈りである。
わたしの岩、わたしの神に言おう。
「なぜ、わたしをお忘れになったのか。
なぜ、わたしは敵に虐げられ
嘆きつつ歩くのか。」
11わたしを苦しめる者はわたしの骨を砕き
絶え間なく嘲って言う
「お前の神はどこにいる」と
自分たちが捨てたからほかの神々にいったから、裁かれた。それを知っている。自分たちに責任があり、自分たちが神の怒りを招いたのだから、裁かれたと分かっている。しかし、10節はこういう風に文句を言っているのである。自分のことは棚に上げて。だから、助けてくれ、と。こんなに都合のいい話はない。こんなに都合のいいのが、神に愛されているものの姿なのである。お母さんに愛されている子供が、こんなふうにしたのは、お母さんでしょう!と怒る。お母さんのせい!と叫んでいる。どんたくのところで、お菓子を買ってせがむ子供を見るとほほえましくなる。
愛されている自信とは素敵である。詩人は、だから続けてこう歌う。
なぜうなだれるのか、わたしの魂よ
なぜ呻くのか。
神を待ち望め。
わたしはなお、告白しよう
「御顔こそ、わたしの救い」と。
わたしの神よ。
神様に愛されているという確信を持っているものの、神様に対するまじめな訴えである。悪い子をしたのはわたしだけど、だけど助けてよ、と。自分でなんとかできないのだから助けてよ、と。この祈りが、この詩人の心を一気に強くしていく。そして、43編になだれ込んでいく。
神よ、あなたの裁きを望みます。
わたしに代わって争ってください。
あなたの慈しみを知らぬ民、欺く者
よこしまな者から救ってください。
2あなたはわたしの神、わたしの砦。
なぜ、わたしを見放されたのか。
なぜ、わたしは敵に虐げられ
嘆きつつ行き来するのか。
3あなたの光とまことを遣わしてください。
彼らはわたしを導き
聖なる山、あなたのいますところに
わたしを伴ってくれるでしょう。
4神の祭壇にわたしは近づき
わたしの神を喜び祝い
琴を奏でて感謝の歌をうたいます。
神よ、わたしの神よ。
祈り、助けてくださいと訴えるとき、捨て置かれることはないと知っている詩人の姿がここにある。その神様が私を捨て置かれるはずがない、と。当然、神様あなたは私を救ってくださるでしょう。彼らはわたしを導き、わたしをあなたのものに連れて行ってくれるはずなのです、と。南王国ユダが、BC587年にほろんだのち、48年間バビロンで捕囚になったあと、キュロスの勅令でいきなり帰れと言われる。彼らはまさに、バビロンの人に連れていかれて、イスラエルの神殿を再建することになる。BC520年。主イエスキリストの誕生にいたるまでのイスラエルの再建につながっていった。
その経験をしているがゆえに、この詩は多くの人に愛されてきた。
つらいことがあったとき、悲しいことがあったときに、すぐに諦めたらだめよ。困難なことがあったときに、自分に責任があるということを知っていても、自分が解決しますと言ってはいけない。すべてが私が責任だと知っていると、なんとかしてくださいよ、というのが本当の信仰者の姿である。それにも関わらず、かっこよく、いさぎよく、裁きをうけよう、おろかなことである。この詩人は、すべてが自分のせいであると知っていながら、神様の前で(七尾弁で言う)やんちゃこいて、助けてくれ!と言っている。なんとかして、って言っている。そういって終わっているのである。そして、ちゃんと彼の願いのとおりにしている。
神様のまえでやんちゃをこくのは、ダメなような気がしているが、本当はよいことなのである。どんな1年になるかわからない。どんな2年目、3年目になるかわからない。そのようなときに、ちゃんと駄々をこねて、やんちゃこいて、神様の前に訴えるキリスト者の姿がなければいけない。しっかり祈り続けるキリスト者でありつづける、そういう1年にしていきたい。
(2024年1月1日元旦礼拝 釜土達雄牧師)
おわりに
この説教を聞いていたのが午前11時。正午に礼拝堂を出た4時間後に、能登半島地震が起きました。その日以来、毎日、神様の前にやんちゃをこきながら、愛の業に励んでおります。全部はできません。でも、与えられた役割は果たそうと願い、必要なものが与えられるように、と祈っています。そして、日々、十分すぎるほどに与えてくださっていることに感謝します。
すべてを御手に委ねます。愛する能登の人々が、祝福されますように。