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”努力” や ”頑張る” は良いことかどうか

こんにちは、なみです。


今回は
”努力” や ”頑張る” は良いことかどうか。
というお話。



まず努力とは
自分のことよりも目的の達成のために尽力すること。

頑張るとは
自分の意思や考えを貫いてやり抜くこと。


僕たちが生きていく中で、
努力や頑張りが必要なときは頻繁に出てきます。

ではどんな場面で出てくるのかを考えてみると、
どちらも ”やりたくない物事を行うときに使う動詞” が一般的です。

やりたくないことを、みんな必死になって
「努力します!」「頑張ります!」ってアピールしていることって、
ちょっと不自然だなと思うんですよね。


逆に、やりたいことならどうなんでしょう。
考えてみると、努力も頑張りも必要ない気がします。


たとえば、僕はゲームが好きですが、
ゲームがやりたいときには、勝手に手が伸びてしまうほど自然体でいます。

そして気付けば何時間も続けて遊んでしまいます。

これがどういうことかと言うと、
夢中になれることに努力や頑張りは必要ないってことなんですよね。


アスリートの方でも、読書家の方でも、
作業量は一般の人からすればものすごい量だと思います。
それを継続させ、何らかの結果に結びつけるのは夢中であるからこそだと思います。

好きを夢中でやっている状態、
自分のやりたいこととして取り組む作業においては、
努力や頑張りによるストレスはあまり感じないのではないかと。
だから続けられる。

一定時間やり続けることに対してのストレスは生まれるでしょうけどね。

そして、これはもちろん趣味だけじゃなく仕事や勉強にも言えます。
仕事や勉強に対して、楽しさややりがいを持って取り組む人たちは、
嫌々と取り組む人たちよりもパフォーマンスが高く、ストレスは低いでしょう。

やりたいことをやっている人と、やりたくないことをやっている人では
明らかにパフォーマンスの差が出てきます。
もちろん、中にはやりたくないことでもひたすらに努力して大きな結果を出す人もいます。
でもほんの一握りの人だけじゃないかなと。

みわ家の店主さんも、
料理を人の3倍やってきたが、それは努力とは思わなかったそうです。

ただ現実問題として、やりたいことをするまでの過程に
やりたくないことや、やらなければいけないことが出てきますね。

何かを始めるときの準備として、資金を貯めたり環境を整えたり…。
そこには努力が必要になるのかなと思いました。

ひとつ言えることは、
今、何かに取り組んでいるその努力や頑張りが、
明日の自分、来月の自分、来年の自分を楽にしてくれるのか。
最終的に努力や頑張りの必要がなくなって、楽に生きていられる状態になるのか。
これが重要かなと僕は思います。


結論としては、
努力や頑張りはどうしても必要になる場面がでてくるが、
ずっと努力や頑張りづけになってしまうのは良くない。
夢中でいられるような、楽になれるような、
そんな自分が消耗しない道を見つけるための努力と頑張りなら良いと思いますね。


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