人の性質とその向き合い方(ポジティブ仕上げ)
人の能力や特性について。
先天性だったり後天性だったり。
性善説だったり、性悪説だったり。
いろいろあると思いますが、自分の考え方を整理したいなと。
「宗教と哲学全史」を年末年始休暇に読み耽ったことがきっかけです。
おぉっと心を動かす本と出会ったら、その瞬間瞬間の気持ちや視点を、ツイートのリプ欄に継ぎ足しながら記録していくのが最近の好みですが、この本はツリーが20近く連なりました。それだけインパクトがあったということ。
人類の営みが宗教→哲学→自然科学と発展していく過程を読み進めながら、「人って何だろう、どこに向かうのだろう?」という問いが、形を変えて繰り返し想起される旅でした。
さて、人の性質に関わる部分の思想については、自然科学ではなく哲学の分野でありますが、登場する数多の哲学者の中で最も共感したのはカントの定義する「格率(Maxim)と自律」の部分。
「自然界に自然法則があり、人間界には道徳法則がある。人間が勉強や学習によって自ら能力を高めていけば、自然法則についても真実が見えてくるし、自分の有する信念(格率)も深まり道徳法則に近づいていく。そうして道徳法則がよくわかっていくことを「自律」と呼ぶ」
道徳法則なるものの存在を仮定していて、これは証明のしようがないのでその正しさは検証できないのですが、私はこの後天的な努力で自律を達成できる考え方が好きです。
よく「性格は変わらない」と言われますが、極限状態ではそうだなぁと思いつつも、日常においては「いや、性格も変われるよ!!」と思っていました。
エニアグラムを例に経験談を述べます。
私はエニアグラムでは5番「知識を得て観察する人」です。
実は初対面の方とのほんの些細なやりとりで見抜かれてしまいました。
ただし、エニアグラム自己診断では、私は5番にはなりません。毎回診断結果が変わります。エニアグラムマスターで何千人ものの方と会ってプロファイルを持っている方は、一瞬、私が相手の方と目を合わさずに握手をしようとした瞬間を見逃しませんでした。
自己診断とエニアグラムマスターによる診断結果が異なるのは、”統合”という現象が起きているから。
エニアグラムでは、あるタイプのレベルが上がり、状態が良くなると、統合の方向に向かうとされています。(逆に、レベルが下がり、状態が悪くなると、分裂の方向に向かうとされています。)
図中の→の方向の特性が発現します。私の場合は、
5「知識を得て観察する人」→8「強さを求め自己主張する人」→2「人の助けになりたい」→4「特別な存在であろうとする人」→1「完全でありたい人」→7「楽しさを求め計画する人」
の要素がすでに統合によって出ているとのこと。
状態が良いというのは、「健全レベルが高い」ということで、
『心身の健全レベルが高ければ、性格はより良い方に変わっていく』
というのが自分の変化を振り返ることで説明できます。
ただし、健全度が下がり状態が悪くなったり無意識の瞬間には一番の素の部分が出ます。それが私の場合は5番。
ちなみに素の部分は、幼少期に形成されると言われており、これは自身の脳科学的な知見からも当たっていると思います。最も影響するのは親子関係。脳にプログラミングがなされる年代での親との関わり方が素の性質を決めるのです。(どれが良い、悪いというのはありません。)
そんなこんなで主題に戻ると、人の性質はカント(そしてヘーゲルがさらに進めた「絶対精神」)が提唱するように後天的な努力で高めて、「自律」に向かうことができると考えられます。もちろん、ショーペンハウアーという哲学者のようにそれを否定し、ペシミズムを展開する方もいますが、僕が前者を信じるのはそのほうが人生が楽しいからです。
後天的な努力で「自律」を達成するには、心身の健全性が必要です。
だから、仲間や大切な人が健全でいられるように向き合っていきます。
それが今の私の答えです。