そこらへんの犬、でもみんなの犬① (トルコ)
以前、猫ちゃんについて書いた。
今回は、ワンちゃんについて書こうと思う。
正直なところ、猫ちゃんはどこに行っても大して大きさは変わらない。
ところがワンちゃんは違う。
タイから始まり、4か月かけてマレーシア、カンボジア、インド、ジョージア、アルメニア、トルコ、ブルガリア、ハンガリー、モロッコ、スペイン、フランスと回ったが、インドあたりで気づく。
「なんか犬でかくね?????」
そして、だだでかいのではなく、なんというか、こう…愛玩感が薄いのだ。野良ばかりで清潔感がないとかそういう話ではない。「愛玩感が薄い」自分の語彙力を最大限駆使したものの、この表現が精一杯なのがもどかしい。
私の実家の近所では、柴犬がとにかく多い。小型犬ではトイプードルが多いが、その他小型犬を合わせると、柴犬単独ではやや彼らに数が及ばないといった感じだ。
とはいえ「柴犬って案外小さいんだな」と思う程度には海外のワンちゃんはでかかった。
…というようなことをモロッコ人のベンさんに話すと、
「犬を飼うとなったときに、それじゃ小型犬を飼おうとなる意味がわからない。そのサイズでいいなら猫がいるじゃない。猫なら散歩に連れて行かなくてもいいし、吠えないし。犬を飼うなら大型犬でしょう」
と言っていた。合理性を第一に考えるならば、彼の言い分はあながち暴論ではないように思える。ちなみに彼の家では鳩を飼っていたそうだ。なじみがねえ。
ジョージアに入ると、野良のワンちゃんたちが耳にタグをつけていた。私はピアスと呼んでいたが、狂犬病予防注射接種済みの証だそうだ。これで思う存分ワンちゃんを撫でることができる!と内心カーニバル状態になったのを覚えている。
旅の途中に多くのワンちゃんに出会ったが、そのうち何頭かのワンちゃんたちとのエピソードが心に残っている。
まずひとつめは、アルメニアで出会ったシロベエ。
あとふたつは、トルコでのエピソードだ。バス停のワンちゃんと、カッパドキアのワンちゃん。今回は、バス停のワンちゃんについて書こうと思う。
トルコ国内では、都市間をバスで移動した。
トルコに入ると、街中のあちこちにモスクがある。建物に設置されたスピーカーから流れる祈りの言葉が目覚ましとなり、自然と生活が規則正しくなった。街中に響き渡る祈りの声に応えるように、ワンちゃんたちも遠吠えする。
トルコ国内は全て長距離バスで移動したが、あるバス停は空港ぐらい広かった。建物が2階建てで、停留所が100番ぐらいまである。
特にセキュリティがあるわけでもないので、普通に野良のワンちゃんや猫ちゃんも出入りするし、そこで働く人に可愛がられている世渡り上手もいる。
到着するバスを出迎え、出発するバスを追いかけてゆく。退屈そうな人間に近寄って愛嬌を振りまき、食べかけのサンドイッチのかけらをもらう。
空いたベンチがあればそこで休む。
このバスターミナルは、もともとはワンちゃんたちの住処であったところを、我々が使わせていただいているのではないだろうか。元の住人は彼らなのかもしれない。