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十字を切るのに忙しい(アルメニア)

イェレルク聖堂で15時過ぎまで絵を描き、駅に向かって歩き始めた。


1600年前の修道院はずっと見続けていられる。もっと長く滞在したい気持ちはあったが、行きと同様、首都エレバンとギュムリを往復している1日3本の電車をつかまえる必要がある。うっかり逃すと3時間ほど何もない駅で時間を過ごすことになる。それは避けたい。

後ろ髪をひかれつつイェレルク聖堂をあとにし、ただの田舎道と呼ぶにはあまりにもワイルドな道を歩き始めた。
行きと同様、こんな道を徒歩で移動しているアホは自分しかいない。
そうはいっても見渡す限りの絶景なので、それなりに楽しんで歩いていた。
聖堂がトルコとの国境から200メートルほどの地点にあるので、すぐ目の前の道路の向こう側にはずっとフェンスがはってある。そのフェンスをこえると川があり、対岸はもうトルコなのだ。

フェンスの向こうはトルコ

島国である日本で育った人間からすると、それだけでテンションが上がる。

また雨が降ってきた。エレバンからギュムリへ移動する直前、ギュムリのあるシラク地方が「アルメニアのシベリア」と呼ばれていることを知り、ビビって購入した本気の防水ダウンジャケットが役に立つのである。

雨の中、1キロほど歩いたところで、追い抜きざまにクラシックカー(正確に言うと、稼動年数が長すぎて自動的にクラシックカーになったのであろうボロボロの車)が私の真横に停まった。
おそらく地元民であろうおじさんがドアを開けて、「あっち方面に行くなら乗ってけ!」みたいな感じで声をかけてくれた。もちろんアルメニア語なので、何を言っているのかは分からなかった。
親指すら上げてないのにこんなことが起こるなんて感動した。お言葉は理解できなかったが、お言葉に甘えて乗せてもらうことにした。
大通りに出たところで「駅はあっちだから!俺はこっちに行くから、じゃあ」みたいな感じでおじさんは走り去っていった。
親切なおじさんのおかげで、一気に駅まで残り3キロのところまで進んだ。

そこからまた駅に向かって、おそらく3ヶ月ほど前に舗装されたばかりであろう道路を歩き始めた。

舗装直後の匂いがする

しばらくすると、パトカーが私の真横に停車した。
「やばい!これはどこかに連行されるやつか!?パスポートをカバンからスマートに取り出せるかしら!?」
海外旅行での初の職質がアルメニアのど田舎で、とは。

「こんにちは、何か困ってる?こんなところで何してるの?」
2人のうち片方が英語を話せるようで、安心した。
「駅に向かってます。これからギュムリに帰るところ」
「もしかして、イェレルク聖堂に行ってた?」
「そうですそうですエヘヘ」
「どこから来たの?」
「日本ですエヘヘ」
こんな感じで立ち話をして解散した。
特にパスポートの提示も求められなかった。
トルコの国境から近いし、パトロールをしっかりされてるんだな、と思ったが、よくよく考えたら荒野の田舎道を1人で歩くアジア人の女を見たら流石に声かけるわな。

駅まであと1.5キロぐらいのところで、今度は大型トラックが私の真横に停車した。道路整備の車かしらと思って避けようとすると、運転手のおじさんがドアを開けて「ギュムリ?」と聞いてきた。
「ギュムリ、でも近くのAni駅に向かってます」と答えると、「OK」とおじさん。

心優しいおじさんとコミュニケーションツール(スマホ)


Ani駅で降ろしてくれるものだと思っていたら、Ani駅を通り過ぎるトラック。
「Ani駅ですよ」と言うと、「大丈夫だから」…とは言っていないが、そんな雰囲気で私を手で制するおじさん。
アルメニア人は、アルメニア語とロシア語を話せる人が多い。おじさんもそうだった。
しかし、私はアルメニア語とロシア語がわからず、おじさんは英語がわからない。ひたすらスマホの翻訳アプリでコミュニケーションを取ることになった。

「生まれてはじめて日本人に出会った」
「道を歩いている人を見ると、その人の国籍に関係なく、助けてあげたくなる」

おじさんはほかにも、子供が2人いるとか、日本の電化製品は信用できるとか、他愛のない話をしてくれた。

バス停で助けてくれた地元の人から始まり、心優しいシロベエ、通りすがりに声をかけてくれたアニペンザ村の人たち。その日、色んな人たちに親切にしてもらい、あたたかい気持ちになっていたのでそれを素直に伝えた。

おじさんは、「どこの国にでも悪い人はいるから騙されちゃいけないよ」と言った。

「日本人でアルメニアを知っている人はほとんどいないと思うけれど、私は日本に帰ったら、みんなにアルメニアは素敵な国だったと伝えます。綺麗な心を持った人がたくさんいると」

そう伝えると、「ありがとう、神のご加護があなたにありますように」と返ってきた。

アルメニアは、世界で初めてキリスト教を国教とした国だ。とにかくあちこちに教会や十字架のモニュメントがある。なんにもない田舎にも、コンビニはないが、公共の祈りの場や十字架はある。国民のほとんどがキリスト教信者なのだそうだ。

こういうのがたくさんある

おじさんは、ものすごいチェーンスモーカーだった。おせっかいな性格でなくても、ちょっと控えた方がよろしいんじゃないですかと言いたくなるレベルだった。

そんなおじさんだったが、道端の十字架が目に入るたびに胸の前で十字を切っていた。
車を運転しながら、スマホに文字を打ち込みながら、タバコを吸いながら、タバコに火をつけながら、十字も切っていた。何につけても十字を切ることが最優先のようだが、十字を切るためにその時していることをほっぽり出すタイプでもなかった。

とにかくアルメニアの道端にはありとあらゆるところに十字架がある。信号機もほぼないので、車に乗っていると、とにかく次々に十字架が目に入るのでおじさんは忙しそうだった、

「神のご加護がありますように」
日本人は、日本語では、あまり使わないし、なんか大袈裟な表現だなあ。なんて思っていたが、おそらく、おじさんは心の底からそう思って言ってくれたのだと思った。

十字を切る切らない以前の問題で、いくら信号のない見通しの良い田舎道でも、ずっとながらスマホをしているのは危ないなあと思った。
あれだけ十字を切っていれば、きっと神様がおじさんを守ってくれるだろう。

そんなこんなで、ゲヴォルクおじさんは行きしなに電車で移動した60キロの道のりをトラックに乗せて送り届けてくれた。
何度もお礼を言った。
おじさんは「そんなことより、店でペットボトルの水を買うと高いだろう。そこに水飲み場があるけど、汲まなくてもいいのか」と聞いてきた。

バックパックの中の水筒を確認すると、中身はじゅうぶんにあった。

「大丈夫です。今日は本当にありがとうございました。あなたと家族に神のご加護がありますように」
最後にそうスマホに打ち込んで、ゲヴォルクおじさんと別れた。

この先、私は再びゲヴォルクおじさんに会うことはないだろう。どれだけ時間が経っても、ゲヴォルクおじさんにもらった優しさは絶対に忘れない。彼からもらった優しさを、どこかで色んな人に分けていけたら良いなと思う。

これを最後まで読んでくれたあなたにも、神のご加護がありますように。

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