静かなタイプの子に「あなたがお母さん(お父さん)を助けて支えてあげてね」って言わないであげてください...
子供が子供らしくいられる時間を大切にしてほしいなという思いで書いてみました。
(子供→静かなタイプの子に訂正しました。
勇敢なタイプの子やリーダーシップの得意な子はいいのかもと思ったからです。2022.2.15)
少し重い内容かもしれません。
この言葉がけは、いいほうに働く可能性もあるけれど、よくないほうに働くリスクもすごくあると思ったんです。
この言葉をかけるときって、どんなときかと考えると…たとえば、
下の子が生まれるおうちに上の子にかけてしまうことがありそうでしょうか…?
また、離婚や死別などで片親になるおうちはどうでしょうか…?また、病気の兄弟がいるおうちはどうでしょうか…?
お母さん(お父さん)の負担が大変になるから、あなたが手伝ってくれるとお母さん(お父さん)がとても助かるよ…という意味ですよね。
その家族のことを心配して、頑張れるように思ってかけてるのはすごくわかります。
ただ、言われた子供にとってかなりの重荷を背負わされる言葉にもなりえるんですよね…
どんな重荷になる可能性があるか、私自身のことで書いてみたいと思います。
これは、私も7歳からしょっちゅうかけられた言葉だったんです。
父が交通事故で亡くなり、お葬式でもたくさん言われましたし、その後も、父は亡くなってますという話をするような場面では、よく言われました。
年齢があがると共に言われる機会も増えていき、そのうち、父の存在を話す機会がだんだんなくなってきてからは、そう言われてきたことも忘れていました。
中には、「大変だったね…」と私自身のことを心配してくださる言葉ももちろんありました。
ですが、父が若くして亡くなったという事実を聞くと、おそらくまず母の大変さが思い浮かぶんですよね。
だから「お母さん大変だね…あなたが助けてあげてね…支えてあげてね…」と続く形になることが多かったように思います。
私が今これを書いてるのは、大変だったねともっと言ってほしかったわけでも、今になって憤っているわけでもなんでもありません。
私自身も母は大変だ…と当時も心の底から思っていましたし、今は自分が息子を育てるようになり、一人で子供を育てることの大変さはより深く理解できます。
本当に大変そうでしかなかったです…
それに母のことを心配して言ってくださったことは、娘としても本当にありがたく思っていますし、なにか声をかけてあげたい、少しでも励ましてあげたいという、優しさを向けてくださったことを嬉しく思ってもいるんです。
実際、当時の感情としては嬉しかったんですよ。
そんなふうに親身に声をかけてくださるのは、やっぱり嬉しいんです。
私も頑張らなきゃ!と思えました。
ただ、ここ数年、自分の生きづらさと正面から向き合ってきて、7歳のその頃から自分らしく生きられなくなったことは事実なんですよね…自分を理解していく中で、そこが感情に蓋をするスタートのようになってしまったかなと。
母自身が弱音を見せない性格なので、その影響はとても大きく、感情に蓋をするようになったのは、タイトルの言葉だけが原因ではもちろんありません。
私自身の元々の性格もありますし、複合的なものです。
そんな性格の一つに、言葉を真に受ける、真面目というものがあったため、タイトルの言葉からは自分で重荷を背負っていきました。
お母さんを助けなきゃ、お母さんが大変なんだから!
これからどんなときも落ち込まないで(落ち込む様子を見せないで)頑張ろう!
(私が子供だから、私の存在があるから母は大変な思いをして育てなければいけないんだ、
私は役に立てていないと迷惑な存在だ…)
のような思い込みを無意識に積んでいきました。
頑張ってるつもりではいたんですけどね…小学生が役に立つことなんて、せいぜい簡単なお手伝いくらいなんですよね。
一銭もお金を稼ぐことはできないのに、食費はかかるし雑費もかかる…
どんなにお手伝いをしても、自分が母の役に立てている!と思えることはありませんでした。
4つ上の姉が、上手に自分より高度なことを手伝っているのを見て、さらに自分の存在価値は小さくなっていきました。
(姉はもっと背負ってたと思います)
私は元々、引っ込み思案で、いつも母の後ろに隠れているような子だったのですが、その頃からはそれもダメだと思って、できるだけ積極的になろうとしました。恥ずかしくても、それを見せてはいけないと思いました。
母が困ることはしないようにしよう…
母が怒るようなことはしないようにしよう…
泣きたくても恥ずかしくても、感情に蓋をして、自分らしさとどんどん離れていったと思うのですが、それに気がついたのは最近なんです。
この思いはとてもつらいものだったので、生きづらさを癒し始めてもなかなか見れませんでした。少しずつ少しずつ、紐解いていった先にありました。
もしかしたら、私と似たようなことで、今もつらい思いに蓋をしている人が他にもいるんじゃないかな…、
今現在、子供に良かれと思って言ってしまうことがあるんじゃないかな…そう思って、書いてみようと思ったんです。
言われた当時にはわからないんです。
役に立てる喜びや大人にほめられる嬉しさもあるからです。でも、少しずつ少しずつ気がつかないまま、重くなっていく…
ある程度大きくなったとき、急に自分で将来を決めなさいとなってきます。そのとき、自分のやりたいことがわからなかったり、やりたくないこともわからなくなっていたり…
なんか生きづらいな…でも頑張らなきゃ…
その繰り返しをしていました。
私が大げさだったのかなぁ…
でも、あると思うんですよね…
もしタイトルの言葉だけでもなかったらどうなっていたかな?と考えてみました。
前述の通り、私の母は弱音を見せない人で、人に迷惑をかけるな!が口癖だったので、大きくは変わっていなかったかもしれません。
ただ、自分の存在自体が母の重荷や迷惑になっているという思い込みや、
どんなときも(例えば大切な人が亡くなったときなども)人前で落ち込んだり泣いたりしないほうがいいという思い込みは、
もう少し少なかったんじゃないかな…と思いました。
それから、家ではいい子だけど、外ではもう少し子供らしくいた時間があったかもしれないかな…とか。状況によっては、子供らしくいたほうがいいときは意識してしていたこともあります…
もちろんわかりませんよ…💧
ずいぶん曲解してるなぁと感じた鋭い方もいらっしゃると思います。自分でもそう思います。
何言われても変な解釈をしていた可能性は否定できません…
もう一つ、私の場合、子供らしくいないことで、ほめられる機会も多かったんです。
だから、これがいいんだ!って勘違いしてしまったところもあります。
勉強や習字で、「こんなに頑張ってお父さん喜んでるね、えらいね」と言われることがたくさんありました。
知らない大人の人からこのような声をかけられることが何度もありました。
小さい田舎ですから、うちはある意味有名だったんでしょうね…苗字(旧姓)も特殊なほうでしたので、すぐわかったようです。
ほめられて嬉しい反面、知らない人にもよく見られている、外でもちゃんとしていなければ…という気持ちは自然に持っていきました。
よく言いますよね。人の目を気にしてると、誰もそんなにあなたのこと気にしてないよって。
でも、特殊な状況になると、芸能人でもないのに知らない人から見られていることってあるんですよ…
大人を助ける、支えるという意味は、自分もちゃんとしている、しっかりしているということですよね。それって子供らしくないですよね…
しっかりしているときにほめられる、という経験が増えると、これがいいんだ!という前向きな思いだけでなく、
これじゃないと良くないんだ…
そうでない自分を認められない…というリスクも上がっていったんですね。
もちろんそこで、
そうでないあなたも丸ごとすばらしいんだよー大好きだよーって表してくれる人がいたら、そのリスクは回避されると思いますが。
しっかりしていないときがあってもいい…
役に立てていなくてもいい…
自分らしくいてもいい…
そう思えることはなくて、
何も誰のことも気にしないで、安心したいって心のどこかでずっと思っていました。
タイトルの言葉をかけると、必ず私みたいになるというわけでは、もちろんないんですが、
自分が解放されてきて、
自分と同じような子が出ないといいなと思うようになりました…
ぜひ、子供に声をかけるときは
子供らしくいられる時間に、できるだけまっすぐ過ごしてもらえるような声かけを考えてみてください。
声かけより、一緒に思いきり遊んでもらえたら一番いいかなーなんて思いました。
子供って基本的に家族が大好きだし、大好きな人が困っていたら手伝うし、自分が役に立つことは喜びと思うものです。
だから、あえて助けてあげてと言わなくても、ほとんどの子が自ら自然に始めると思います。
自らというのがとても大事で、自分で始めたものは自分でやめることもできるんです。
でも、ずっとそれだとつらくなっていく…
だから子供らしい時間は必ず過ごしてほしい…
中には大人が喜んでくれるのが嬉しくて、どんどん背伸びしたくなる子もいると思います。
それは、とても可愛いですし、応援したくなりますし、大人としてもつい助かっちゃうのでほめたくなっちゃいますよね。
それ自体も悪いことではありませんが、
その子が自分のほしいもの、したいことを言わなくなっていないか、自分を後回しにしすぎていないか、もしそういう子が近くにいたらちょっと気をつけてあげてほしいなって思います。
子供の頃から、他者を助けることが当たり前になっていると、自分の課題と他者(親)の課題をわけられなくなる可能性も大きくなります。
どの子も自分らしく生きる経験をたくさん味わってもらいたいです。
そのためには、子供時代に子供らしくあることがとても大事なことだと思います。
育ち直しは何歳からでもできますが、年齢相応の順序で発達するほうが、自己実現もしやすいですよね。無理に表面的に大人にさせないほうがいいなってすごく思います。
もし、今回の記事、気を悪くさせてしまった方がいたら申し訳ありません…
書きながら、まだ癒しきれていないんだなと思いました。なんというか感情が漏れ出てくるのを感じました。。
でも、今の未熟な私でも、伝えたいことはあってもいいのかな…と思っています。
大海のひとしずくで、つらい環境にあっても、まわりの人から自然に癒される子が増えますようにと心から願っています。
最後まで読んでくださった方
本当にありがとうございます。
余談です。
実は、同級生に同じように就学前にお父さんを亡くした交通遺児の男の子がいました。
交通遺児は、管轄の警察署で毎年クリスマスに呼ばれるから知ってるんです。
お祝いしてくれるんですよ。そして帰りにクリスマスのバターケーキくれるんです。
おいしかったなぁ…
あの子もお父さんの代わりになるように、男らしくお母さんを支えていかなきゃーと思いすぎて、生きづらくなっていないといいなと思い出しながら書いていました。
俺についてこい!タイプとは真逆で、優しそうで風変わりな感じでした。
いつか再会したら、当時のこと話してみたいなって思っています。