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驢馬の脳髄
「お前は昔から暗いやつだものな。」
父と母が引っ越しの手伝いに来た夜、荷解きの終わった時に父がかけてくれた言葉である。
これを読んでいる人は、自分の親(或いは保護者)にこんな言葉をかけられたらと想像してみて、どう思うだろうか。
少なくとも僕には嬉しかった。いくらか救われたような心持ちだった。
父の言うように、昔から暗い人間だった。
わざわざ自分から近づき、呆れるほど毒された純文学にも、音楽にも、映画にもまだ触れないうちから、根暗の気質が、落伍者の素質が、僕にはあった。
そんな僕に、父も母も明るさや活発さ、人並みの気質を求めた。かつてはひどく閉口したが、今思えばごく普通のことだと思う。
いわゆる親心というものからであろう。
このどうしようもない息子を育てて来て20年目にして、父は僕を許した。僕の仄暗い人間性を受け入れてくれたのだ。
心を病んでいたとしても、人並みの仕草さえ出来れば、温かい言葉をかけてくれるようになった。
父は僕という人間を許した。
それが、僕には嬉しかったのだ。
ルイ・マル監督の「鬼火」(原題: “Le feu follet”)と云う映画を観た。
主人公のアランはアルコール中毒の治療を終え、院長からも完治を告げられるが、己を憂い世を恐れ、尚も病院で暮らしている。
自死決行の日にちを決め、パリへ赴き旧友に会って回る。
旧友達は各々、手合いの違いはあれど歳を重ねた末に現実に収まり、生活を送っていた。
様々の話を聞き、また説かれるもアランの思いに変化が起きることはない…。
主人公アランは上記のような男だが、僕の胸中に駐在する瘴気のもたらす精神的不調をカタルシスでもって癒してくれた。
元々フランス映画が好きなこともあって、僕はいたくこの映画を気に入った。
僕の書く記事においては恒例のことだが、締め括り方が分からなくなってしまった。
残念なことに、ただスノビッシュなだけで僕の頭は良く出来ていない。
ここで強引に締め括らせてもらうことにする…。
Non, je ne rigrette rien.(後悔なんてしないさ)