生まれたということは 〜祝福の嵐が吹く~
生まれるというのは、願いを叶えられる場所に出られるということ。
生まれるというのは、願いを叶えられるということ。
だから、生まれて「おめでとう」なんだ。
これは、祝福の嵐だ。
先日、池のほとりで鴨🦆と対話して思ったが、
人間以外もみんな、願いから生まれたと思う。
願いの強さとか前世の行いとかじゃなく、
自分が何になってこの世を確かめたいのか、によって、何に生まれるのか決まるのかなと。
例えば、人間の私は、鳥のように思い切り翼を広げて自由に飛びたい…と思っている。その思いが確かであれば、来世は鳥に生まれて来て、本当に鳥は自由なのか、自由とは何なのか、鳥から見る人間や世界はどうなのか…など確かめるのかもしれない。
何かを確かめたい気持ちが強かったから生まれて来れたんじゃないかな。生まれて来たら確かめられるんだよ。確かめて、実現できることがある。
だから、
よく生まれてきたね、って。おめでとうって
心からの祝福が贈れる。他の人にも。自分にも。
様々な状況で、望まれない命というのはあると思う。でも、生まれて来る本人は、望んで、確かめたくて、生まれて来るのではないかと思う。後に、生まれて来なければ良かった…と思う人であっても。
赤ちゃんがいろんな物を口に入れるのは、確かめる行為の一つ。段差があれば乗る。柵があれば触る。大人の私達も、ふと意味もなく触ったり乗ったり…と、無意識に何かを確かめている気がする。
だから、生まれることは祝福。
生まれただけで祝福。
ものすごい祝福。グォーッ✨🌀✨
前記事の祝福は、その次の段階だね。
いろんな祝福があるんだ。
今日も何かを確かめられる。
今日も何かを実現できる。
今日も生まれて、おめでとう。
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