失敗・間違いは許すもの
はじめに
「失敗」と「間違い」は、厳密には意味は異なるようですが、私の中では区別がつきにくいので、ごちゃ混ぜで書いて行きます。
・
失敗はしたくない。
失敗しないように気を付けてやる。
失敗を恐れるなとよく言うけれど、そして私もそう思うけど、失敗は恐いよ、そりゃ。
失敗して、やり直す。
自分だけのことなら、まぁいい、悲しんだりイライラするだけだ。
だけど
人に迷惑をかけることになるなら、やはり恐い。
人は人と関わって生きていくのだから、人に迷惑をかけて嫌な思いをさせることを恐れる。
要は、人は人の気持ちを慮るという一つの優しさを持っているのだ。
迷惑をかけるだけならまだいい。
例えば、命に関わること、事故、手術… 相手の命がなくなってしまうことは、想像も難しいほど恐い。
多くの人は、
失敗しないように気を付けていると思う。
気を付けている上で失敗したのなら、
仕方ないと、私は思う。
気を付けていない場合はイカンけど。
気を付けているのに失敗した時
気を付けているのに間違えた時
私は、許してほしい。
本当は許せないのに無理に許そうとするなら許さない方が良いけれど。
許してもらえると、ホッとする。
ものすごく、救われる。
簡単に何でもないようにサラッと許してもらえると、本当に安心して、次に向かえる。
だから私は、
もし自分が迷惑を被る方の立場だったら
なるべくサラッと許したいものだと思う。
だが現実は、そう簡単には行かない。
相手を責める気持ちや原因を求める気持ちでモヤる。
じゃあ、どうしたらサラッと許せるだろう?
と考えると、、 、
間違いは許すもの
失敗は許すもの
という感覚が、世の常であれば、世界の定説であれば…弱肉強食、食物連鎖のように…太陽は東から昇り西に沈むように… 「そういうもの」であれば私もきっとサラッと許すと思う。
そう考えると、
私たちの感情というのは、けっこう、今まで知らず知らずに植え付けられて来た物の見方や価値観に左右されてるんだなと思う。
もし、
手術でなくても、点滴を間違えたとか医療ミスによって自分の子どもの命が失われたとしても、その間違えた人が真剣だったのなら、私はその人を許したい。
我が子の死は、それがその子の生き方だったんだと捉えたい。
人は、長生きすりゃいいってもんじゃない。
大切なのは、どう生きたか?だ。死に方は、生き方と同じだ。
だから
ミスした事、ミスした人を責めることなく、ただ、どんな経緯だったのかを、知りたい。知って、「そうか…」と受け止めたい。
だって、ミスってするよね?
どんなに気を付けてたって。いや寧ろ、気を付け過ぎて力んでる時にミスったりする。
「なんでミスしたの?」と聞かれても、わからない時あるよね、自分でわからないのよ。
…なんてね、実際はめっちゃ責めるかもね。
…自分がミスした立場なら、責めてくれないと居られないわな。
…どーしよっかな?笑
みんなさ、一生懸命でしょ。
それでも間違える。
あ、間違えちゃったね。
それでいい。
それだけでいい。
失敗は、許すもの。
許すためのもの。
人が、許すために、在るもの。
そんな世の中になったらいい。
まずは自分から、
その練習をしてみる。
あ、でも、
絶対に自分の感情は捻じ曲げないよ。
怒りまくったり責めまくったり感情が動くなら、その時はそうしておくよ。
そうしないと、
許せるもんも 許せないかな。
・・・
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