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昨日、ライアーという楽器に出合った。
その奏者の方は、
これまで人を癒やすために様々なことを学び、心理学、スピリチュアル、セラピー、など、実践して来たらしいです。そして辿り着いたのが、ライアーだということでした。
過去に突っ込んだり原因を探り当てたりして癒すとか、強烈なことをしなくても、その人の今が癒されることが大事だと思うようになったと言っていました。
確かにそうかも…と頷きました。
先日セラピーを受けて過去から引き摺ってたものに少し向き合えた私ですが、大きなきっかけにはなったし一つの見方をもらえたけど、だからってそれが解消できたわけじゃないな…と、その考えを聞いた時に思いました。

その奏者方は、人のオーラとか、滞ってる所とかが見えるんですって。で、それをライアーを使って緩めたり流したりして癒やして行く。それでスッキリしたり、体の不調が治ったりするそうです…治そうなんて狙ってないのに。癒されちゃうんです。
だから、「対話なんて要らないのよ」と言われました。

うーん、確かに言葉なんて要らないこと、多いにあるよな… 言葉が要らないって素敵だよな… と、その時は頷きました。
と同時に、マジ?対話なんて要らない? と、
対話好きな私の頭を〜???〜が流れました。

後で冷静になって思ったのは、
人が癒やされるためには、対話は要る です😊

真の、または芯の、もしくは深の
癒やしのためには、私は、対話は必要だと思います。
ただ一方的に癒やされるだけでは、薄いです。長続きしません。それは治療のように、時々何度もやってもらわないとならない気がします。
一方的に「やってもらう」だけだからです。受身だから。
自分と向き合う面が少ないのです。

対話は、自分が話します。
話を存分に聴いてもらいます。
相手の話も聴きます。いや、ここでは、対話というより、「話を聴いてもらう」ことに絞っても良いかもしれません。
話すこと。
そして、その話を全部聴いてもらうことは、自分を癒やすことにとても重要なのです。
聴いてもらうことで、自分の存在を認められる感じがするのです。それがどれほどに大きいことか。

そうして、自分からも自分を出すことが、癒やしには不可欠だと思います。
ただ自分の自覚なく問題を取り除くだけじゃ、薄いと思うんです。 

その方がしてくれたライアーの施術?は、確かにとても心地よいものだと思った。とても神聖で貴重だと。
でも、やってもらってる時、やはり、マッサージや鍼治療とかに似てるなと思った。自分は寝てるだけ、やってもらってるだけなところが。
その心地よさは、なんだか間もなく過ぎ去って行く。自分で自分の生き方が変わらなくては… 自分が作用しなければ…

思いがけず、不意に出会った人。
人を癒やすその人が発した言葉。
対話の価値を知り、対話を売ろうとしている私が
一瞬納得できた面もあるけれど、だからこそ浮き上がった〈???〉

やっぱり、対話が好きだ。

**〜**〜**〜*
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最後までお読みいただきありがとうございました🌷

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