会話じゃ物足りない、もっと人生に触れたい
大辞泉ではない所では、「会話」の方にも「向かい合って話すこと」と書いてあったりする。だから、この二つの違いは、なかなか難しい。
というのを見ると、何となくイメージが湧く。
会話は、会って話す。という、広い意味。
会って話す。だけ、とも言える。
対話は、会って、向かい合って話す。
会話という広いエリアの中の、一つの形。
向かい合うというのは、やはり、面と面というよりも、心と心が向かい合うことではないだろうか?
私は、色んな人と対話をしたくて、
お散歩に出た時とか、挨拶を出来そうな人には挨拶し、あわよくば会話に発展することを楽しみにしている。
ただ、最近…
それが会話で終わってしまうと、物足りなさを感じるようになった。
話す時間の長さではない。
相手の人生に、少しでも触れられたかどうか、私の人生を少しでも伝えられたかどうか…
それを自分は求め、楽しみにしていると思う。
どれだけ長く会話しても、例えば相手が何かの知識を語ってくれてるだけだと、多少そこに興味はあっても、なんだかツマラナイ。
会話になるだけで嬉しくて楽しかったのに、私は贅沢になってしまったようだ。
対話に飢えている。
私が子供相手に講師をしている教室で、最近保護者面談をしている。それも、対話をしたいがために実行したのだが、自分が「先生」という立場だからか… どうも、少しぎこち無い感じがしている。先生を強く意識しているわけでは無いが、立場というものに無意識に支配されてしまっている気がして、自分の考えも人生も出してるつもりなんだけど…なんだか物足りない。
やっぱり、誰でもない私で、私は人に対したいのだ。誰でもない私と、誰でもないあなたで、対話したいのだ。
そういえば、昔から、世間話が苦手だったな…
少し深い話になると楽しくなったな。
だから、多人数は苦手で、三人までくらいが好きなんだよね。多人数だと、話が浅くなりがちだからね…何話していいか分かんなくなっちゃう。少人数だと、人と対してる感覚になれるから。
私の、欲でした。
あなたの
欲は
何ですか?
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