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燃え尽き症候群の話

近ごろとても忙しいのです。
新しい事を同時にいくつも始めているので、身体のどこかがパンクして空気が抜けている音がする。

"燃え尽き症候群"とは昔から縁が深く、音楽のプロジェクトにせよ、企画にせよ、大掛かりな仕事をやった後には大抵、燃え尽き症候群的な状態になっていました。
しかし振り返って考えると、あんなもん大した事ないじゃろうがと思ったりもするわけです。

20代中頃の事ですが、色々と思い悩んでいた時期にある大先輩からこんな事を言われました。
「なみちゃんの悩んでることは、僕のに比べると大した事ないよ。全然。」
ミュージシャンにはサイコパスのような人が多く、かつ俺に対しては忖度無く発言される先輩方も多かったのも事実ですが、大先輩から笑顔で上のような事を言われると、若かりし日の俺には面喰らう以外にはありませんでした。ドンと。ドンと胸を突き飛ばされるようなあの感じ。
しかしそれも今考えると、よく分かる気がします(この"今考えるとよく分かるシリーズ"はこれ以外にもかなりありますが、類似したものとして"今考えたとてやっぱりわけ分からんシリーズ"もかなりあります)。思い悩む事も、為すべき事も、重さと数が増すばかり。仰々しく自意識過剰に考えているわけではないのだけれど、やはりできる事が増えるという事はそういう事なのでしょうか。できる事が増えれば、よりできない事を求めていくというのも向上心だという事にして、この無間地獄の中にいる自分を慰めたりして。

最近特に"燃え尽き症候群"が恋しい。いっこ終わればまたすぐ次の事をやらねばならないわけで、燃え尽きてる場合じゃないぞと。あーやっとひと息つけると思いつつタスクリストに目をやれば、世知辛い現実がそこにあるわけです。無呼吸遠泳。仰々しく書くとそういうこと。
しかし、楽しさや面白さ、それから何より得られるものの数と大きさが、昔とは違うなあと感じるわけです。良い事なんでしょうね。きっとね。
だから若かりし日の自分にもし出逢ったら、あの頃言われた言葉とほぼ同じ事を言ってあげるのでしょう。俺も立派なサイコパスへと成長したというわけです。

今日もどこかから空気が抜けてる音がするわけなんですが、これからライブをせねばなりません。だから今日も、ひとまずセロハンテープでも貼って出かけたいと思います。行ってきます。

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