ある程度自分が満足したらいつ終わってもいいと思っている
ある程度の年齢になってから意識するようになったのは、”物申す”というあの感じ。難しいなあと思っています。
誤解を恐れずに書くと、20代の頃なんかはわざと偉そうな事を言って笑ってもらったりする事もありました。ガキが調子に乗って偉そうな事を言ったり、分かったフリをしてよく分かってないっていう虚勢を貼る感じが滑稽に見えるわけで、最良の判断とは言えないものの、そういう角度で笑ってもらう事もしばしばあったわけです。しかし、今それをやると本当に偉そうで怖い奴に見えてしまうので、相手を選ばなければなりません。やらなきゃ良いじゃんっていう考え方も分かりますが、そういうことばっかり言ってるとつまんないんだから置いておきます。
ある程度の年齢になると、何かを発言した時に周囲へ与える印象として”物申してる感”が強まります。周りもちゃんと聞いてくれようとするわけですし。また、恐らくこれは加齢による症状みたいなものなのだろうけれど、年々”何かと物申したくなってる自分”が膨らんできている事も自覚しています。
完全な板挟みです。
例えばこうして文章を書く時なんかは、重箱の隅をつつくような感覚で書いているのがむしろ楽しい時が多々あります。歯ブラシの毛先がどうだとか、そういう小さな事についてごちゃごちゃと書くのは、小さな発見もあったりして楽しいものです。しかしそれをすると”細かい事に物申してる感”が強まります。別に歯ブラシについて本気で問題意識を持っているわけでもないし、基本的に世の中って沢山のどうでも良い事でできているなという思想を持った俺としては、そう言ったものの中の一つとして適当なことを書いているに過ぎないのですが、加齢による副作用が適当に文章を書くことをためらわせ、タイプする手を鈍らせます。
どうすればこの不要な”物申す感”を無くすことができるのか。
今考え得る唯一と言っても良い手段としては、明らかにこいつはバカだと思わせる事でしょう。良い歳して鼻ピアスとか、ずっと口が開いているとか、いつもでっかい目やにを付けているとか、鼻が赤いとか、すぐズボンがずり下がるとか、そういう事で取るに足らない人物だという印象を強く打ち出しておけば良いのかもしれません。
また自分の中で確かに蠢いている”物申したい衝動”についても、対処しなければならないとも思います。しかしこの部分は加齢による症状のようなものなので、膝軟骨のすり減りとか、腰痛とか、物忘れ、生活習慣病みたいなものへの対処療法と似たような角度で考えてゆくのが良いのではないかと考えます。暮らしを見直す。これです。
一つは、無闇にテレビに話しかけない。
特に昼のワイドショー的なテレビ番組を観ながら、恵やミヤネに声をかけたりしない。「そりゃそうやろ」とか「塩ラーメンの方が良いに決まってるやろー」なんて話しかけても、返事が返ってくるわけではないのだから。
それから、暇だからといっていつまでも携帯を弄らない。
ネットニュースを見ない。SNSを見ない。気軽に投稿しない。なんかよく分からん三つ揃えると消えるみたいなゲームをいつまでもやって携帯を弄る癖をつけない。外で遊ぶ。駐車場でボール遊びをしない。ゲームセンターに入り浸らない。こういった習慣をつけることで、要らぬものに興味を持つ事も少なくなりますし、発言ツールを遠ざける事で無駄な発言を未然に防ぐ事もできます。
最後に、時にはサプリメントによる摂取も。
単純にイライラしたり神経が過敏になっていたりすると、物申したくなるようです。まずはカルシウムなどと言ったミネラル補給を忘れずにすることが大切です。バランスの取れた食生活ができれば一番良いのですが、忙しい毎日の中で食事がいい加減になる時も多いと思います。そんな時には、サプリメントの利用も検討しましょう。 そして同時に、脳内の神経伝達物質であるセロトニンなども重要だと思います。太陽に当たること、適度な運動、良質な睡眠、そしてなんかエロいことなどを意識することでセロトニンが分泌され、ストレスが緩和されます。
こうやって書いてるうちに気づいたら結局物申してるじゃないかとかいう、そういう古典落語のようなメタ的下げを書いて終わらせるつもりはありません。そんな事を書かなくたって、いつでも文章なんて終わらせられるんだから。書かなきゃいいんだから。書くのやめればそこで終わりなんだからね。
よし。昼飯食おう。