ゴミでボールを作る&皆さんに提案したいこと
ゴミ拾いというと全てのゴミを拾わなければ意味がないと思うだろう。そして、大抵の場合それは正しい。拾って終わりで良いならば、全てのゴミを拾って家のゴミ箱に捨てるのは正しいと思う。
ゴミ問題の根深さ:ブルキナファソでは
何度でも言うが、私がブルキナファソにいてゴミを拾っても、それだけでは、あとに続き私がこの国を去ったあともゴミを拾い続ける人は現れないだろう。ゴミを拾うことが絶対的に正しくて、ポイ捨てをすることが絶対的に誤りであるという、良い固定観念を多くの人(欲を言えば全員)が持たなければ、ゴミを拾い続ける人は現れない。
あらゆる所に難点はあるが、最も受け入れ難いのはゴミ箱が家にない人がほとんどであるということだろう。この国を主語にすると分からないが、私の住む場所のように首都であっても田舎であればゴミ箱を持たない家の方が多い。彼らは日常的にポイ捨てをし、家の庭でもポイ捨てをする。朝になるとゴミを集めて(プラスチックとかビニールとか紙とか何も気にせずに)、庭や路上で燃やす。
さて、家にゴミ箱がない理由は溜めておいてもそれをどうする手段もないからである。正確に言うと回収業者はいるが、月に1000フラン払って回収してもらうと言うものだ。日本だと税金がそこに投入され一般家庭がゴミ回収に支払いをすることはないため分からないかもしれないが、ゴミ回収有料はかなりハードルが高い。日本で言うと大型家電や家具を捨てるのが有料だと急に面倒になるのと少し似ているだろうか。話を戻して、私のホストを含め毎月1000フラン払う人はの知る限りでも何人かはいるが、払っていない人の方が完全に多数派だ。家にゴミ箱がないとポイ捨てをするのが当然になってしまうのは想像に難くないだろう。
「ポイ捨てしちゃダメだよ」
「なんで、じゃあどこに捨てろって言うんだよ」
「家に持って帰って捨てるんだよ」
「持って帰っても家でポイ捨てするだけだよ」
「なんで?」
「ゴミ箱ないからな、溜めてもどうしようもないだろ」
「業者に頼んで回収してもらいなよ」
「月に1000フランも払えるほど余裕はないんだよ」
ということになる。政府がこの問題を課題として認知し、国を上げて無料回収システムを確立しなければ、根本的な解決策に取り組むスタートラインにも立てないだろう。日本の焼却技術が高いために、それを発展途上国で生かすべきという意見を散見するが、それよりも遥か以前の話である。
話を戻すが、この国ではゴミを拾って満足していても、何にもならない。日本でゴミを拾う活動をしている人が数多くいることも、彼らが様々な場面で発信していることも、そしてそれを見て後に続く人が出ていることも素晴らしいことだと思う。しかし、その全てがこの国では成立せず、私がゴミを拾っても、私がこの国を離れれば、もはや無かったことになる。
では、どのようにして、ゴミを拾う活動を継続させるのか。辿り着く先がゴミビジネスである。お金になれば人々は動く。特に仕事がなくて困っている人や水を飲むためのお金が無くて困っている子供たちが大勢いるこの国において、お金ほど魅力的なものはない。私自身はこのビジネスで稼ごうとは思わないが、毎日朝ごはんを食べて、水を飲み、昼ごはんと夜ご飯を食べれるくらい稼げるような小さなビジネスとして成立させれば、きっと私がブルキナファソを去った後も、このゴミビジネスは残り、すなわちゴミを拾う人も残るだろうと思っている。
しかし、正しいことを言えば、あらゆるゴミを拾うことが本当に意味があることである。ペットボトルや硬いプラスチック袋、そして小さな端切れのようなものが大量にある。路上に落ちているゴミのうちビニール袋が3割程度、他はペットボトルやプラスチック袋である。このプラスチック袋というのは大抵は水を買う時に出るゴミで、これが路上ゴミの5割である。大袈裟ではなく、100メートル歩けば1つ以上は必ず落ちている。
小さなゴミを使ってボールを作る
私はビニール袋を使って草鞋(わらじ)を作っていると前回までに書いたが、結局のところ私が拾っているゴミは全体の3割ということになる。意味がないとは言わせないが、意味が小さいのは認めよう。さて、そこで考えて、水のプラスチック袋と小さな端切れを使って作ろうも思いついたのはボールである。水の袋は硬めであるため、破けにくく衝撃にもある程度強い。それを利用する。
①水の袋の中に、使い勝手の悪い小さなゴミなどをたくさん入れて、これを2つ作る。
②さらに別の水の袋を円形になるように切る。
③円になったプラスチックで2つの袋ゴミをまとめ、球状にする。
④最後は4メートルにも及ぶ、ビニール袋から作った三つ編み紐を幾何学的に巻いて完成である。
さて、分かって頂けると思うが、②である程度硬い袋を円形に切って③で巻く必要があるが、②の袋の大きさがボールの大きさに直結する。小さいボールで練習するとサッカーが上手くなると小学生の頃に誰かに聞いたが、そんな話をここの人は知らないだろうし、みんな持てることなら正式サイズのボールを蹴りたい。もちろん、小さなボールでも彼らにとっては喜びであろうけど、私もできるだけ正式サイズに近いものを作りたいとも思う。しかし、残念ながら今のところ、②で使うべく大きめで硬めの袋はない。
ただ、ボールを作るというアイデアにはとても大きな収穫がある。①で使い勝手の悪いゴミと表現したが、そのようなゴミを利用する機会を得たということは、あらゆるゴミを拾えるようになるという事だ。そして、いつかボールの大きさが大きくなれば、ペットボトルだって使えるかもしれない。
提案したいこと:環境問題を問題視できている皆さんへ
ゴミ拾いというのは全てのゴミを拾わなければ意味がないと私だって思う。ゴミ問題に取り組む全ての人が本当は全てのゴミを拾って捨てるか活用するかしたいと思っている。
しかし、どんなアプローチであれ、路上や海上のゴミを減らそうという活動をしている人は正しい。大小、質の違いはあるかもしれないが、彼らは全員が正しい。根本的であっても先端的であっても。
今日、日本という素晴らしい国ではその正義は成立していて、逆張りをする人を除けば100%の人がマイクロプラスチックゴミを初めとするあらゆる環境問題の重大性を知っている、この国とは違い。そして、ゴミ拾いやビジネスという形で、自分の無力さを痛感しながらも、日々この問題に取り組んでいる人が一定数いる。この記事をここまで読むような人々はきっとポイ捨てなどせず、家のゴミ分別もルールに則ってしている人々だと思うが(それだけでも本当は十分です)、それでもなお、もう少し環境問題にアプローチしたいと感じている人が少なからずいると思う。私も長らくそうであった。
そんな人々に一つ提案をしたい。皆さんが簡単に環境問題に取り組む方法は何か。ゴミ拾いはまだハードルが高いかもしれない。でも、そういう活動をしている人たちの背中を支え、彼らが明日もその活動をする応援をすることくらいはできるはずだ。まずこの記事にいいね押すとかね笑
真面目に言えば、この記事を読み終えたらTwitterやInstagram、YouTubeを開き、ゴミ問題やゴミ拾いと検索をして、活動をしている人々の投稿に高評価を押したり、感謝のコメントをすることを薦めたい。それをできる限り毎日やって欲しい。小さなことだが、そういうものが人々の背中を押す。できることを頑張っている人々の小さな炎が燃え尽きる前に、皆さんの画面上のワンタップが、活動をする人々にとって意外にも大きなものであるということを皆さんにも知って欲しい。ゴミ拾いをしない人々を否定しているわけではない、私も日本にいる時はそうだった。やりたいことがほかにあったり、他の何かが忙しかったりするのは分かるから、「時間があったらちょっとでも良いから環境問題に取り組みたい」と思っている方に、その思いを実際に取り組んでいる人々に託すことを薦めたいのだ。私はその思いを背負って、今日もゴミ拾いに行こうと思う。
ゴミ拾いに行く人が30分かけているとして、皆さんは1分でできることだから。流石にここは面倒臭いとは言わせない。人に思いを託し、それを少しだけ追うことが、この途方もない問題に取り組む一歩目であると強調して、今日はお別れにしよう。
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