9.1それは望んだ生き方か?
希死念慮。相変わらず顔出したり引っ込んだりする。大抵疲れている時か月初め、日曜日。これってもしかしてみんなそうなんじゃない?とさえ思う。希死念慮を調べてみるとうつ病が一緒に出てくるが、わたしはお腹も空いて3食とプラス間食もするし、身体が不潔なのは嫌なので風呂には毎日入りたい。別に辛いことがあるわけでもない。悲しいこともない。台風の影響か喘息発作が出てちょっと息が苦しいだけ。でもこれはもう10年くらい続いていて何か対策が欲しいと思っている。
仕事をしていると、これはこの人の望んだ現在なのかと思うような状態の人をよくみる。必要な医療処置なんだろう。本当に必要なのか?そう思っているうちに次の日空きベッドになり、また新しい患者がやってくる。こういうことに慣れずに一度仕事ができなくなって休んだが、この仕事くらいしか私にはできるものがないと思ったので戻ってきた(接客業は本当に向いていなかった)しかし、やはり慣れない。勿論回復する人が大半だけど、その時々くるそれをみると辛い。自分は死にたいので(とおもっているだけで何もしようとは思わない)、そんな人に色々処置されて可哀想だと思ってしまう。そしてわたしはそれで金をもらう。きっとまわりはこんなことを考えずにただ仕事をしているとおもう。やりがいをもって。早く辞めてしまいたいができることもない。
休みの間に色々しようと思っても土日は土日の忙しさがあって夜には疲れてしまう。息子はなぜが寝かしつけは私ではないとだめで夫には任せられない。最近はオムツ交換や靴を履かせる、抱っこをするまでも1度は拒否する始末。気持ちはとても嬉しいけど私の身体的な負担は増えるわけで複雑である。夫は、ママがいいって。という。いいよな、それでしなくていいんだから。と思ってしまった後に、ずっと可愛い自分の子どもに拒否され続けてる辛さを考えるとその言葉はしまっておいた方がいいな。と思って言わないようにしている。私が逆の立場ならイライラしてキレてしまうのだが、夫はそういう怒りの沸点は高く息子への対応はいつもと変わらないのですごいと思う。息子よ、少しはパパがいいと言ってくれ。わたしのために。
9月1日は自殺する人が多いらしい。そりゃ夏休み明けとか絶対行きたくないよな。でも死んでほしくないな。大人になっても休み明けって憂鬱なんだぜ。でも私は生きている。死にたいと言いながら。色々考えても日はすぎるし結局私は生きてるんだよな。意味なんて別になくていいかも。最期にあれが生きる意味だったと思えればそれで。死にたいって思ってる奴がそう思えるかはわからないけどさ。あー明日の仕事やすみてー。