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他者を利用して自分を満たす人

他者を利用する事で、自分を満たそうとする人が居ます。

その人は自分に絶望しています。

自分には価値が無い、と思い込んでいます。

自分は何も出来ない、と心の奥で決め込んでいます。

ただ其処に、存在するだけで許されない、と感じています。

何も出来ない自分なのに、何もしないでただ其処に居るだけでは許されないのです。
だから他者を使って、自分の中の絶望感、無価値感から目を逸らします。


その人は、自分には価値が無く、何も出来ないと思い込んでいますが、それを心の奥の奥に隠します。

隠しますが、隠している無価値の思い込みがある限り、その人は自分の価値を見い出す事が出来ません。

自分で自分の価値を見い出せないので、他者を使って、自分の価値を感じようとする様になります。

マウントを取ります。
自分の優位性を誇示する為です。

他者を貶めます。
他者の劣等性を際立たせる事で、相対的に自分の優位性を誇示します。

他者からの肯定、承認、賞賛、を求めます。
自分では見い出せない、価値、を他者から受け取ろうとします。

基本姿勢は、自分を上げて、他者を下げる構えになります。

それは時として周囲からは、行動的、積極的、能動的といった印象を持たれる事もあります。

しかし本質は、自分が見い出せない価値を他者を使って得ようとする極めて回避的、消極的、受動的な在り方です。

つまり本来、心の安定は自分で創り出す、自己完結、である筈が、
自己完結出来ない為に、自分の言動を他者にぶつけ、その照り返しで安定を図る、という回りくどく、利己的な生き方をしている、という事なのです。

利己的、と表現しましたが、
自分が抱える無価値の思い込みから逃れる事が生きる目的になってしまうと、

他者を、その目的を達成する為の道具としてしか捉える事が出来なくなります。

他者を道具として捉えるという事は、他者を尊重する事は無い、という事です。

それは、人間関係の基本である、尊重、を欠いた、極めて独りよがりな世界に生きている、という事になります。

自分の価値を見出す為に、他者を利用するという事は、他者を巻き込んで初めて、自分の価値を実感出来る、という事です。


今は、すっかり自分に絶望して、他者を利用する生き方をする様になった人であっても、

遠い昔、回数は少なくても、友達と笑い合った経験はあるのではないか、と思います。

小学生か中学生、もっと前かも知れません。

笑い合った後、友達と別れて独りになった帰り道、何とも収まりの悪い違和感を覚えます。

笑ってはいたけど、そんなに可笑しかったかな?
打ち解けた気がしてたけど、本当に仲良しなのかな?

心の奥に隠した、無価値の思い込み、は、感情が滑らかに動く事を阻害します。

自分で自分の感情がわからなくなります。

だから、他者を使って自分を満たそうとするのです。


友達と笑い合っても違和感を覚えるその人は、

全国模試でトップ50に入る好成績を挙げました。

いつも褒めない親が褒めてくれました。
先生も褒めてくれました。
クラスの皆も、スゴい、と言ってくれました。

勉強が楽しいと思った事は無かったのですが、
親から褒められたくて、ずっと頑張って来ました。

その甲斐あって皆から褒められました。

勉強は相変わらず楽しくありませんが、

こんなに褒められたから、これしか無い、と思いました。

するとテストの度に、良い成績を取れなかったらどうしよう、と思う様になりました。

テストが怖くて仕方がありませんでした。

怖くて仕方が無かったのですが、志望校合格を勝ち取りました。

全国的に有名な進学校です。

褒めない親が、また褒めてくれました。

数学も英語も、どの教科も、特に興味はありません。

興味があるのは、成績です。
トップになろうと思いました。

しかし、どんなに頑張っても、成績は上がりません。

進学校には、当然ですが勉強が得意な子が集まっているからです。

どんなに頑張っても成績は上がらないので、
その人は段々、こと更に、賢く見える事、に全精力を注ぎ込む様になっていきました。

自分よりも成績が下の子には、「だからダメなんだよ、お前は。」とマウントを取ります。

自分よりも成績が上の子の事を陰で「あんなに必死になってるのってダサいよな、俺は3年になったら本気出す、今はのんびりするって決めてるからさ。」


そう言う頃には、賢いフリをする事、がその人の生きる意味、になってしまいます。

他者を利用する事が、自分の価値を証明する手段になります。

大学に進学しても、社会人になっても、染み付いた価値証明の方法は変わりません。

その人は、賢さ、に固執し、しがみつきます。


その人を、賢さ、に縛り付けるのは、心の奥の奥に隠した、無価値の思い込み、です。

賢くなければ、親は褒めてくれないし、皆もスゴいと言ってくれない、だから賢く無い自分には価値が無い、という解釈はとても自分を追い詰めます。

本来、自分の価値は自分の中で決めるものです。
私達がコントロール出来るのは、自分の心だけであり、
他者の心はコントロール出来ません。

そのコントロール不可の他者に、どう思われるか、に自分の価値を委ねたなら、心が安定する事はありません。

すべき事は、他者からの照り返しを捕らえる事では無く、

心の奥の奥の、無価値の思い込み、を払う事です。


気づく事は、簡単ではありませんが、

他者にマウントを取っているのではないか?

他者を貶めるクセがあるのではないか?

と微かにでも思ったなら、

それは些細な事ではありません。

気づきは、紐解く為の糸口です。

解いて辿れば、

思い込み、に行き着きます。

思い込み、は、

払う事が出来るのです。

読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム













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