失敗が経験として積み上がる人、失意だけが残る人
何かに挑戦したならば、成功する事もあれば、失敗する事もあります。
よく「何事も経験だ。」と言います。
挑戦する、という事に意義があり、成功も失敗も、何事も経験になる、という意味です。
全く持ってその通りだと私も思います。
しかし成功も失敗も、経験、として積み上がらない人も居ます。
経験が積み上がらない人には、挑戦した事の成否という結果だけが残り、経験が積み上がりません。
経験、は【自分】の上に積み上がります。
【自分】とは、心の中の、確かな【自分】という意識、です。
【自分】という土台が先ずあって、その上に経験は積み上がります。
経験が積み上がらない人は、心の中の【自分】が育っていません。
心の中に【自分】が育っている人と、育っていない人は、何かに挑戦する際に、
フォーカスしている、モノ、と、
そのフォーカスしたモノに向かう推進力を発揮する為の、燃料、が異なります。
【自分】が育っている人は、フォーカスは自分の興味、関心、好奇心が向くモノに当たっています。
たとえば、部活のサッカーを頑張っているなら、その人のフォーカスは自分が純粋に、興味、関心、好奇心をそそられるサッカーに当たっています。
フォーカスしたサッカーに向かって進む推進力を産み出す為に燃やす燃料は、純粋な興味、関心、好奇心、です。
勿論、目の前の大会を勝ち抜く事が目標ですが、その目標の前に、フォーカスは大好きなサッカーに向いています。
大会を勝ち抜く事は、フォーカスした大好きなサッカーの延長線上にあります。
目標を達成したいのは勿論ですが、推進力を産み出す燃料である、純粋な興味、関心、好奇心は、大会前の日々の練習でも燃焼されます。
サッカー自体にフォーカスが当たっているので、大会前の練習というプロセスが、その人にとっては大切です。
練習はキツいですが、大好きなサッカーにフォーカスが向いているのですから、キツさの中に喜びがあります。
燃料を燃やし尽くす充足感や充実感があります。
延長線上に見える目標に向かうプロセスには喜びが散りばめられています。
その心境になった人は、大会前の練習も、延長線上に見える目標も、
つまり、プロセスも結果も、全部が経験となり、【自分】の上に積み上がります。
「何事も経験」になるのです。
心の中に【自分】が育っていないと、フォーカスは大会を勝ち抜いて優勝する事に向きます。
結果至上主義に、どうしてもなります。
そのフォーカスした、結果、に向かって進む推進力は、周りからの賞賛、羨望、他者に優越する事などです。
すると、大会前の練習は、キツさばかりを感じます。
フォーカスは結果に向いていて、大会前の練習というプロセスは、フォーカスの外にあるからです。
サッカーは成功する手段になり、キツい練習からでは、喜びを得られません。
どうしても結果が全てになります。
すると、失敗が怖くなります。
失敗が怖い、ということは、失敗する可能性のある、挑戦、自体が怖くなります。
プロセスは手段に過ぎず、結果が全てだと、大会を勝ち抜く事は、望む結果を得る為の絶対条件になります。
成功が絶対条件なのですから、仮に優勝を手にしても、得られるのは純粋な喜びとは違ったものになる様に思います。
言ってみれば得られるのは、失敗しなくて良かった、という、安堵感、ではないでしょうか。
プロセスが意味を持たない以上、
結果が全てである以上、
成功は100で、失敗は0です。
失敗して0になれば、失意だけが残ります。
心に【自分】が育っていない人は、失敗が経験として積み上がりません。
心の中の【自分】は、幼少期の親子関係の中で芽生え、育ちます。
親が子供を無条件に受け容れる事で、子供は、自分は受け容れられる存在だ、自分はただ存在するだけで価値が有る、という安心感を得ます。
その安心感を養分にして、心に確かな【自分】という意識、が芽生えます。
心に【自分】が芽生え育つには、親の肯定的な姿勢が必要です。
親が子供を否定的に扱ったなら、子供は【自分】が芽生え育つ為に必要な、自分という存在に対する安心感を持つ事が出来ません。
親から受け容れられず、否定的に扱われて育った子供は、自分には価値が無い、という思い込みを心に刻んでしまいます。
その子に安心感は無く、あるのは、無価値な思い込みです。
自分の存在に対する安心感の無いところに、【自分】は育ちません。
自分には価値が無い、と思い込んでいるのですから、
その子は脅迫的に自分の価値を追い求める生き方をする様になります。
その子にとっての自分の価値は、他者の賞賛、羨望、他者に優越する事です。
自分には価値が無い、と決め込んでいるので、他者の評価によって自分の価値を感じるしか無いのです。
だから、結果が全てでプロセスには意味が無い、訳です。
人が産み出すネガティブ感情は星の数ですが、中でも最も認めたく無い感情が、無価値感、だと言えます。
その無価値感から逃れる為に、脅迫的に求める、賞賛、羨望、優越への渇望が、爆発的な破壊力を持ち、目標を達成する事もあります。
しかし、渇望を原動力とした目標達成は、プロセスから得る充足感も、喜びも、経験が積み上がる事も無く、もっともっと、という果てしない渇望が続きます。
成功を収める事は出来ても、それが豊かな人生とイコールでは無いのです。
どう生きるかは、個々人の自由です。
もしも、豊かに生きる事を望むなら、
心に【自分】を育てることは、
欠く事が出来ません。
【自分】はいつからでも、何歳でも、
育て直すことは出来るのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム