別れが教える、心のことのグラデーション
誰の人生にも、出会いと別れは必ずあります。
たとえ、どんなに社会と断絶する様な暮らしをしていたとしても、
どんなに他人を避けて生きて来たとしても、
この世に生まれ落ちたその時に、少なくとも、母親とは出会います。
という事は生涯を通じて、出会いと別れを経験しない人は居ない、と言う事が出来ます。
本記事では、その万人が必ず経験する、出会いと別れ、の、別れ、について考えてみたいと思います。
別れに際しては、心が揺れます。
揺れるだけに、普段気がつかない感情が零れ落ち、
自分の意外な一面、また相手の見たことが無い一面を垣間見る事を、体験した人も多いのではないか、と思っています。
その意味で、別れ、は気づきの宝庫と言う事が出来ます。
失って初めて、その人の大切さに気づく、などと言います。
慣れ親しめば、慣れ親しむ程に、普段は相手の存在に無頓着になってしまう、という事だと思います。
それを教えてくれる別れは、やはり、気づき、の宝庫と言えます。
空気の様な存在、と言う表現があります。
普段は気も使わないし、気にも留めないけれども、無くてはならない存在、という意味です。
慣れ親しんだ空気の様な存在との別れが、
失って初めて自分にとって、その相手が如何に大切であったかという事に気づかせる、のだと思います。
親子、家族、恋人、親友、と言った、知人、友人よりも、より親しい関係性であれば、ある程に、相手が居る事を当たり前と捉えがちです。
心のこと、は、きちっと線を引く事が難しい事柄が沢山です。
観念的な表現になりますが、心のこと、は定規で測ってスパッと切り分けられるものでは無く、
グラデーションになっている心に、知恵でもって目安をつけるもの、だと思っています。
親子、家族、恋人、親友、といった極親しい間柄に於ける、 健康的な範疇の依存と、共依存は、グラデーションの最たるものだと思っています。
心理的な距離が近くなると、共依存的な要素が入り込む事は事実です。
共依存的な関係性に於いては、自分と相手の感情を分ける心理的境界線が曖昧になります。
つまり、自分が欲する事を相手が理解して当然、といった様な独りよがりな感情に陥りがち、です。
その時に必要なのが、相手を尊重する、ということです。
共依存と相手を尊重する、ということは正反対の対人的スタンスです。
自他の感情を分ける心理的境界線が曖昧になった状態は、独りよがりな心理状態であり、
その独りよがりな心理状態を抜けるには、
相手を尊重する事が必要なのです。
相手を尊重する、ということは、相手を一人の独立した人格として認識する、ということです。
一人の独立した人格として認識するには、自分は自分、他者は他者という心理的切り分けが必要です。
言い換えると、心理的境界線が曖昧な状態では、相手も自分も輪郭がぼやけていて、
境界線がくっきり引かれて初めて、相手が現れ、自分が存在する事になる、という事なのです。
親しくなれば、心理的境界線は曖昧になりがちで、その現れが、
甘え、束縛、馴れ合い、過保護、過干渉、などなど人間関係に悪影響を及ぼす数々の事柄です。
ついつい其処に陥ってしまいがちな私達は、心理的境界線を意識する事は必要だと言えます。
親しき仲にも礼儀あり、という慣用句は、心理的境界線を意識しましょうという戒めです。
とは言え、時にそんな意識を排除したくなる側面を誰もが持っています。
だから、心のこと、は定規で測ってきっちりと分ける事が難しい、グラデーションになっているのです。
失って初めて相手の大切さに気がつく別れもあれば、
関係が終わりを告げて初めて、その関係性の歪さを知る事になる場合もあり、自分の至らなさに気がつく事もあります。
別れを通して、その関係性の歪さに気がついた時に気をつけたい事は、
大まかに言うと2点あります。
1つは、意識のフォーカスは出来事に向ける、という事です。
その別れによって、相手から騙されていた、利用された、馬鹿にされた、という様な事に気がついたとしても、
意識のフォーカスは、相手と出会って別れた、という出来事に向けたいものです。
ここで、意識のフォーカスを、相手という、人、に向けてしまうと、
騙された事、利用された事、馬鹿にされた事に対する怒りに心が満たされてしまいます。
恨み、憎みます。
意識のフォーカスが、出来事に向くと、嫌な思いは残るにしても、その別れによって自分が得たものに目が向きます。
すると、相手の感情も自分の感情も冷静に眺める事が出来、
時に、別れる事によって、色々な事を教えてくれた相手に、感謝に似た感情すら覚えます。
出来事は相手に対する恨みに変わる事は無く、
経験だけを残して、過去の出来事に変わります。
2つめは、自分を責めない、という事です。
出会いがあれば別れは必ず訪れます。
それが今だった、という事です。
そして、あの時こうしていれば関係は続いていたのではないか、
あの時こう言っていれば、別れる事は無かったのではないか、
などと決して考えないこと、です。
別れる事が悪い事ならば、必ず別れが訪れるこの世の出会いは、全てが悪い出会い、という事になります。
全てが移ろいゆく世の中で、
出会いと別れは、花、であると言えます。
様々な事を教えてくれる花です。
自分を豊かにしてくれる花です。
別れる相手にとっても、
それは同じです。
心のこと、はなかなか見渡せません。
しかし別れは、心のこと、のグラデーションを如実に見せてくれます。
私達は人生に咲くその花の、
花びらを愛で、香りを堪能し、
執着する事無く、大切に思い、
学びと、豊かさを
享受したいものです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?