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他人から好かれなきゃ、に囚われる人

人間関係に疲弊する人は沢山います。

概して、人から嫌われてはならない、と、思い込んでいる人が、人間関係に疲れ果てる様に思います。

7対2対1の法則をご存知の方も多いのではないか、と思います。

10人、人がいたら、2人は気が合う人、7人はどちらでもない人、1人は気が合わない人、というものです。

その数字が正しいか否かは脇に置いても、
人が何人か集まれば、好意的に見てくれる人も居れば、理屈では無く嫌う人も居て、
そして、大半の人はどちらでも無い、と言うのは、間違い無いと思っています。

そしてそれは、こちらが好かれたい、と思ったら、そうなる、というものでは決して無い、のだと思います。

どんなに気を使っていても、嫌う人は嫌います。

その事を見ても、私達が自由に出来るのは自分の心だけ、であり、

他者の心も、身に降りかかる出来事もコントロールする事は出来ない、とつくづく思います。

他者から好かれたい、という思いに突き動かされる人は、コントロール不能な他者をコントロールしようとしているのですから、

人間関係に疲弊するのは当然、と言えます。

無理を道理に変えようとしているのですから、
それは、労多く実りの少ない生き方だと思うのです。


とはいえ、どんなに飾らない自然体の人であっても、寝癖をつけたまま、パジャマを着たまま、会社に行く事は無い訳で、

他人の目を100%気にしない人はいないでしょうし、
また、そんな人が居たとしたら、奇異な目で見られます。

誰しも大なり小なり、他者の目を気にしますが、
寝癖とパジャマでは無いにせよ、他者の前に立つ自分と、他者の目を気にしない時の自分にギャップが少ない方が、楽か楽でないかで言えば、楽である事は間違い無いでしょう。


色んな言い方が出来ると思います。
他者から好かれたい、と強迫的に求めて止まない人は、

確固たる【自分】が無い、
自他の感情を分ける心理的境界線が曖昧である、
自分という存在に安心感が無い、
自分を無価値だと感じている、

などなど、見方、切り口によって様々な表現が出来ますが、

全部が同じ事を言っています。

一つひとつの説明は割愛しますが、
ただ黙って其処に居るだけでは許されない、という感覚に苛まれている、と言うこと、なのです。

ただ黙って其処に居るだけでは許されないから、他者に好かれたり、褒められたり、羨まれたりする事で、

自分の価値を確かめていないと不安なのです。

現れ方は様々です。

自分には価値が無いから好かれなきゃ、と周りに迎合する場合もあれば、

自分には価値が有る、というフリをして、周りにそれを押し付ける場合もあり、

更には、自分より弱い相手には、押し付け、
自分より強い相手には迎合する、という場合もあります。

つまり、どの場合も徹頭徹尾、相手ありき、他者任せ、の評価です。

本来、自己評価、自己像、がある筈なのに、評価は他者に委ね、自己像は他者の評価によって形を変えます。

別の言い方をすれば、つまり【自分】が無い、のです。

他者に好かれる事を強迫的に求める人は、自己像を他者に造ってもらう人、なのです。

しかしながら、先に述べた様に、私達は他者の心をコントロールする事が出来ません。

他者がどんな自己像を造ってくれるかは、他者任せ、です。


心に確固たる【自分】があれば、その自分でいるだけですが、
【自分】が無いと、迎合したり、押し付けたり、虚勢を張ったり、優しくしたり、やる事が沢山あり過ぎます。

人間関係に疲れ果てるのは当たり前です。


では、どうしてそんな生き方になるのか、というと、

かつて幼かった頃に、親の眼鏡にかなった子で居ないと受け容れて貰えない環境に育ったからです。

親の望む子にならなければ、否定され、親の感情、要求、都合、好み、に合致した時のみ、受け容れられます。

厳しい条件をクリアして初めて受け容れられます。

その人が育った環境の愛には条件が付いていた、のです。


親はそうだったとしても、世の中には色んな人が居ます。

条件などクリアしなくても、好意的に受け容れてくれる人は沢山います。

しかし、その人の人間関係のひな型は、幼少期に親からもらった、ひな型、です。

受け容れられるには、迎合したり、押し付けたり、色んな事をしなければならない、と思い込んでいます。

ずっとそうやって、自己像が無いまま生きて来たので、もはや、自分がどんな人間なのかが分からなくなっています。


人に好かれる事を強迫的に求める人が、今取り組むべきは、

上手に取り入る事でも、

強く押し付ける事でもありません。

自分という存在に安心感を持つこと、

心の中に確固たる【自分】を育てること、です。


長い間、【自分】が無いままに生きて来た人に、

【自分】を育てる、というと、

とてつもなく遠くに目標を置く感覚にとらわれる人も少なく無い様に思います。

確かに長い間、【自分】が無いままに歩む人生は苦しかった筈ですが、

自分と向き合い、

自分の感情を条件を付ける事無く、

受け容れる癖付けをすると、

感情が活発に動き出すのに、

思うより多くの時間はいりません。


これが【自分】です、

と誇れる【自分】が育ちます。

自分として歩む、

自分の人生がスタートします。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム








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