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仏教で言う、四苦、とは、生老病死、です。
人は生まれる場所や条件を選べません。
人は必ず歳をとり老います。
そして病気にもなります。
やがて寿命がくれば死に至ります。
仏教では、この四つが人間の根源的な苦しみであると説きます。
根源的な苦しみは、誰かが解決してくれるものでは勿論なく、
自分自身で一つひとつ受け容れて行くものだと思います。
その意味に於いて、人は群れる生き物でありながら、根源的には孤独な生き物である、とも言えます。
生きづらい人が、生きづらさを抱える原因の殆どは、その人の幼少期の親子関係にある、と言い切って構わないと思っています。
親ガチャなどと言う言葉を使いたいとは思いませんが、
どんな親の下、どんな環境に生まれ落ちるのかは、選ぶ事が出来ません。
愛情豊かな親の下に生まれ落ち、肯定的に無条件に受け容れられる環境に身を置いた子供は、
自分という存在に懐疑的になる必要がありません。
何をせずとも、ただ其処に居るだけで、自分に価値を感じます。
情緒が未成熟で、子供を愛する能力が育っていない親の下に生まれた子供は、
否定され、拒絶され、親の眼鏡にかなった時にだけ受け容れられる、という親子関係に身を置きます。
親の感情や要求を満たした時にだけ受け容れられるという、条件付きの愛情、しか知らずに育つのですから、
何をするでもなく只其処に居るだけでは、自分には価値が無い、と感じます。
自分の価値は、他者に働きかける事で発生する、と感じる人になります。
人生の最初の段階で生じる、この違いは、とても大きなものであると言えます。
生老病死、の、人は生まれる場所や条件を選べない、という「生」の苦しみを突きつけられる様な生い立ちになってしまいます。
しかし、見方を変えれば、もともと人は生まれる場所や条件を選べないもの、なのですから、
恵まれた環境に生まれた他者と比較するから、苦しみが増幅する、とも言えます。
四苦を抱えてこの世に生まれ落ちたのですから、生老病死から逃れられる人は居ない訳です。
もともと持っている苦しみを大きく映し出す拡大鏡が、比較、する事です。
あの人の様な家庭に生まれたら…、
あの人の様に若ければ…、
あの人の様に健康ならば…、
あの人は生き、自分だけが死んでゆく…、
確かに、先に述べた様に、生まれ落ちる場所、条件は選ぶ事が出来ませんし、
比べれば、愛情深い親の下に生まれ、健やかな心を持つ人に育つのと、
愛する能力を欠く親の下で生まれ育ち、生きづらさ、を抱えてしまうのは、大きな違いがあります。
しかし、それは、「比べれば」です。
あの人は若い、「比べれば」です。
あの人は健康だ、「比べれば」です。
あの人は生き、自分だけ死んでしまう、今のあの人と「比べれば」そうですが、死、は誰にも必ず訪れます。
人は、考える力、が飛び抜けて発達した生き物です。
その発達した、考える力、を、ともすれば私達は、他者との、比較、に余りにも多くを費やしがち、だと思うのです。
これ程、優れた思考力を持つ生き物はありませんが、
これ程、他者を羨む生き物もありません。
陽の当たらないアスファルトの割れに根付いたタンポポは、日当たりの良い草原に咲く花々を羨むでしょうか。
お腹を空かせた野良猫は、食べ物に困らない飼い猫を羨ましく思うでしょうか。
おそらく、日当たりや、食べ物を欲しても、他者と比較して羨む事は無いのではないか、と思うのです。
ただ、「今」を生きるのみ、だと思います。
優れた思考力を、羨むこと、に費やし過ぎてはいないでしょうか。
述べた様に、生まれ育ちの違いは、その後の生き方を大きく左右する事は確かです。
しかし、生まれる場所や条件は選ぶ事が出来ません。
ならば、日当たりの良い草原に咲く花々や、食べるものに困らない飼い猫を羨むよりも、
「今」を生きる事が大切な様に思います。
生老病死の「生」の苦しみを突きつけられる生い立ちは、過酷です。
しかし、誰しもが四苦を背負って生まれ落ち、
その苦しみは、自分自身で受け容れなくてはならないのですから、
人は生まれながらに、孤独、を連れ立っている、とも言えます。
そして、「生」の苦しみを突きつけられる幼少期を過ごした人は、
いつも、孤独、を身近に感じていた筈です。
言わば、孤独の達人、です。
人生に於ける、四つの苦しみのうちの一つを、人生の最初に嫌と言うほど味わったのです。
今は只、生きづらいばかり、かも知れませんが、
生い立ちを腑に落とし、これが私の人生だ、と思える様になった時、
生きづらさは、深さや優しさや知恵に変わります。
深さは、人生の、です。
優しさは、苦しんだからこそ、です。
知恵は、四苦さえも受け容れる事を助けます。
生きづらさを手放した人は、
他者を羨まず、
「今」を生き、
「今」を味わう人になります。
限りある人生は、
彩りを鮮やかにします。
それが、孤独の達人として生きた、
前半生の果実です。
存分に味わって欲しく思うのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム