一番の理解者は自分自身
親から肯定的な態度で育てられるか、それとも否定的な態度で育てられるかは、
その後のその人の、物事の捉え方、見方、感じ方、を大きく左右します。
肯定的な態度で、無条件に受け容れられる幼少期を過ごした人は、
たとえ何かに失敗してしまったとしても、
失敗と自分の価値は無関係であり、価値が脅かされないからこそ、失敗は失敗という出来事として認める事が出来ますし、
失敗から学び、反省する事はあっても、失敗した自分を責め苛む事はありません。
ところが、常に否定的な態度で、子供の感情を蔑ろにし、親の感情や要求を満たした時にだけ受け容れる、という、条件付きの受け容れ、に晒される幼少期を過ごした人は、
ありのままの自分は受け容れられない、という感じ方が染み付きます。
親や周囲の他人の要求に応えた時のみ受け容れられる、と思い込みます。
つまり、肯定的な親子関係の中で育った人は、何をするでもなく、ただ其処に居るだけで、自分には価値がある、と感じますが、
否定的な親子関係に晒されて育った人は、自分自身には価値が無い、と感じていて、
価値の無い自分が受け容れられるには、ただ其処に存在するだけでは叶わず、
親や他者の要求に応えて、自分の価値を証明する事が絶対条件だと感じる様になってしまいます。
すると、失敗は許されない事、になります。
失敗は単に、失敗した、という出来事には留まらず、
自分の価値に直結してしまいます。
ただ其処に居るだけでは、価値が無い、と感じるのですから、
何事かを成す事で、初めて自分には価値が生じる、と感じるのです。
物事に取り組む時、最初から上手く行く方が珍しい訳で、
大半は失敗しながら、少しづつ成功に近づくものであると思いますが、
否定的な親子関係の中で育った人は、その物事を成功に導く為に必要な失敗の一つひとつが、自分の価値を脅かすのです。
ただ其処に居るだけでは、自分に価値を感じる事が出来ないのに、
何か物事に取り組む際の、成功へのプロセスとしての失敗が自分の価値を脅かすのです。
じっとしていても、自分の価値を証明しなくては、と焦ります。
かといって行動しても、成功する為の失敗に自分の価値を脅かされます。
じっとしていても、行動しても、何をしても、何もしなくても、いつも何かに追い立てられる様に焦ります。
肯定的な親の下で育った人と、否定的な親に育てられた人の大きな違いは、
自分を責めるか否か、に集約されると思っています。
生きづらさ、とは、自分を責め苛むこと、と言っても良いかも知れません。
健やかな心を持つ人は、生きづらい人からは想像が出来ないくらいに、自分を責めません。
どんな境遇に在ったとしても、自分が自分を責める事が無ければ、苦しみはどれ程小さくなるか知れません。
自分を責め苛む人は、そもそも自分の人生を、自分として歩む事が難しくなってしまいます。
ただ其処に居るだけの自分には、価値を感じることが出来ないのですから、全ては、他者任せになってしまいます。
親が褒めてくれた、目の前の人に、スゴい、と言われた、周りから羨まれた、
全部、他人からの照り返しによって得る満足です。
他人からの照り返しによってつくられる人生は、自分の人生とは言えない気がします。
自分の価値を他人からの照り返しに委ねるという事は、
価値の無い自分が下す自己評価には何の意味も無く、
他者の評価の方が信じられる、と感じているという事です。
生まれてから死ぬまで、一番長く一緒に過ごすのは、親でも、子供でも、配偶者でも、友人でも無く、自分自身です。
そのずっと一緒に歩む自分自身を信用し慈しむのか、
それとも、価値など無いと決めつけて、他者の評価を求めて生きるのか、は大きな違いです。
自分よりも他者を信用する人は、自分の本心を殺す事に違和感を持ちません。
その現れ方は、自分を抑えて他者に譲るばかりではありません。
時に、自分の失敗や間違いを認めない、といった現れ方をします。
自分が本当は間違っている事を知っているのに、それを認めず、
真実を曲げてまで、ごり押しするのも、真実を知る自分を軽く見て、他者の評価を欲するから、とも言えます。
人はどうやら、自分を愛する程度までしか他者を愛する事は出来ない様です。
人は自分を信じるだけしか、他者を信じることが出来ない様です。
人は自分を尊重する分しか、他者を尊重することが出来ません。
自分を責め苛む人は、他者に愛を配ることなど出来ません。
いつも何かに追われる様な焦燥感を感じる人は、
そんな自分を変えようとするのでは無く、
そんな自分を受け入れる方向を向くことが大切です。
他者の承認無しには、自分の価値を感じることが出来ない自分を、否定するのでは無く、
「そうなるのも仕方が無いよね、わかるよ、わかる。」と自分で自分を理解し、
自分で自分を受け入れることに慣れるのが大切なのです。
そうすることに慣れる程に、焦りは少なくなります。
そうすることに慣れることが、
自分を受け入れる、ということなのです。
かつて否定され、拒絶され続けた自分の、
一番の理解者になれるのは、
自分自身、なのです。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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