見出し画像

目の前の他人に誰かの面影を重ねる心理

関わる他人にことごとく、端から不満を持つ人は少なくありません。

その傾向が強く現れる段階まで至った人は、他者に対して何時も攻撃的です。

不満を持ち、攻撃的な人は、健康的な人間関係を築くことが困難です。

周囲の他人からしてみたら、不満を持たれたくも、ましてや攻撃されたくも無いのです。
だから、不満な人からは、距離を置きます。


関わり合う人にどうしても不満を持ってしまう人は、他者に対する、期待、が大き過ぎるのだと思います。

過剰に期待して、相手がその期待に応えない時、ひどく傷ついてしまいます。
裏切られた、という感覚に支配されます。

他者に対する期待が大き過ぎる人は、その心理を分解したなら、
自他の感情を分ける心理的境界線、が曖昧なこと、
心に確かな【自分】という意識、が育っていないこと、
未消化の、幼児的願望、に衝き動かされていること、
などが、大きな要因として挙げられますが、

その様な心理的要因が集まって、関わる他人に不満を持ってしまう人は、目の前の他人に、誰かの面影を重ねている場合が多いのです。

心理学で言う、投影、している状態です。

その人にとって重要な人の面影を、目の前の他人に重ねてしまいます。

大半が、その人の親の面影を目の前の他人に重ねます。

兄弟や血縁者、友人、などといった親では無い場合もありますが、十中八九が親です。

それ程、幼少期の親子関係は、重要です。

勿論、関わり合う他人に不満になる人に、親の面影を重ねている自覚はありません。

もしも誰かから指摘されても、まさか!?、と思う程に無自覚です。


親の面影を重ねている、ということは、目の前の他者に、親、を求めている、ということです。
他者に、母なるもの、を求めているのです。

母なるもの、とは、無条件の受け容れ、無償の愛、です。

求められた他人は、たまったものではありません。

赤ん坊がお腹が減って、ぐずったら母乳を与えられる様に、 

オムツが濡れて気持ちが悪ければ、泣けば新品の気持ちのいいオムツをあてがってもらえる様に、

不満になる人は、気持ちを察して、気持ちを汲んで欲しいし、

無意識にそれが叶う筈、叶うべき、という大きな期待を持っています。

そして裏切られて、不満をつのらせます。

関わり合う人に不満を覚える人は、その原因は、関わり合う他人の方にある、と感じています。

すると、周りはけしからん他人だらけになりますし、世の中は嫌な場所になります。


関わり合う他人に不満を覚える人は、幼少期の親子関係が、親が主で、自分は従、の関係だった人です。

本来、幼少期は、子供が親から肯定的に扱われ、無条件に受け容れられる、人生唯一の特別な季節です。

その特別な季節を思う存分、子供らしく過ごすことが出来た子は、自分の価値に疑いを持ちません。

ただ其処に居るだけで、自分は受け容れられる存在だ、という安心感を手に入れます。

受け容れられ、安心感を得た子供の、子供らしさ、の卒業は概して早いのです。

子供らしく居られる季節に満足した子供は、年齢なりの発達課題をクリアしながら成長し、徐々に自分の人生を自分の足で歩み始めます。


他者に親の面影を重ねる人は、子供らしい子供時代が無かった人です。

他者に親の面影を重ねる時点で、心は親の支配下にあります。

物理的、経済的に独り立ちしていても、心は親の支配下です。

幼少期、否定的に扱われ、受け容れて貰えず、逆に親の顔色を伺い、親の感情を優先し、自分の感情を閉じ込めました。

親の要求を無条件に受け容れ、自分の要求は諦めました。

つまり、その人に子供らしい子供時代は無かったのです。

閉じ込めた未消化の子供らしい感情や要求や願望は、叶えられる事は無く、心の奥に燻っています。

子供らしさを諦めざるを得なかったその人は、自分に対する安心感を持つ事が出来ず、無価値感に苛まれます。

年齢なりの発達課題にことごとく躓いて、心は未成熟なまま、子供時代を心理的に卒業出来ず、自分の人生を歩む事が出来ません。

親の人生に取り込まれ、脇役として親の人生を歩きます。

親の人生の住人ですから、傍から見たら立派な大人でも、心理的には親の支配下に在り、

関わる人に親の面影を重ね、幼少期に決して叶わなかった子供らしい感情、要求、願望を汲み取って欲しい、汲み取ってくれる筈だ、と期待します。

その人は幼少期の感情が未消化のままです。
子供らしい要求をすることも出来ず、子供らしい願望は叶わないばかりか聞いても貰えず、

その人は、子供らしい子供時代を諦めきれず、親に受け容れてもらいたいという願望を手放す事も出来ず、

目の前の他人に無意識のまま親の面影を重ねます。

不満は親に対する不満です。
目の前の他者に対するものではありません。
攻撃は親に向けられる筈の苛立ちの現れです。
目の前の他人に向けたい訳では無いのです。


目の前の他人に不満ばかりを感じる人が、

その不満が自分にとって重要な誰かの面影に対する不満であることを、

意識に上げることは、簡単ではありませんが、

他者に対して怒り、苛立ち、不満が湧き上がった時、

少しだけ、自分の心を覗き込むクセをつける様に気がけて欲しいのです。

一度では無く、何度もです。

繰り返すうちに、きっと見えて来ます。

いったい誰に対する感情なのか、

自分の願いは何なのか、

見えて来たなら、

それが気づきの糸口になります。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム


いいなと思ったら応援しよう!