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「あなたはそのままで価値がある」という最高の贈り物

巨万の富を親から引き継ぐ人は居ます。

綺麗事を言うつもりは、少しもありませんが、
巨万の富を親から貰った人が、幸せを手にするのか、というと、
そうでは無い、と思うのです。

確かに、この物質世界、資本主義の世の中に生まれて、富を手にする事のアドバンテージは絶大である事は間違い無い、と思っています。

ましてや、その富が親から無条件で貰える立ち場にある人は傍目には、幸せ行きの切符、を手にしているかの様に、見えるかも知れません。

しかし、それは、傍目に幸せに映る境遇、そして、資本主義社会に生きる際のアドバンテージを貰ったのであって、
その人の幸せとは、イコールでは結べない、と思っています。

つまり、経済的余裕と幸福感は、別のカテゴリーだと思います。

何故なら、幸せは心の中にしかあり得ないから、です。


述べました様に、経済的な豊かさは、資本主義社会を生きる上でアドバンテージではあります。

幸せを考える時、富は要素の一つではあるでしょう。

要素の一つではあっても、絶対条件では無い、というお話しをしています。

絶対条件は、自分には価値が有る、という感じ方です。

高級住宅街に建てた豪邸に暮らしても、運転手付きのベントレーやベンツに乗っても、高級な服や時計を身に着けても、予約がなかなか取れないレストランが顔パスでも、著名人と顔馴染みでも、その人が無価値感に苛まれる人であったなら、幸せにはなれない、のです。

親から貰った富であり、地位や名誉だからだ、と思われますか?

貧乏な家に生まれた事をバネに、今に見ていろ、アイツには負けない、誰にも負けない、と歯を食いしばって社会的に大成功を収めた人ならば、
その人が心に無価値な思い込みを抱えていても、幸せになれるでしょうか?

答えはNOです。

何故ならば、親から貰ったか、血の滲む様な努力を重ね自分で築いたか、に関わらず、
社会的、経済的な成功や富は、要素、であり、絶対条件、では無いからです。

絶対条件はあくまでも、自分には価値が有る、という感じ方が有るか否か、です。

勿論、親から莫大な富を貰った人が幸せにはなれない、と言っているのでも、
血の滲む努力を重ねて大成功した人が、幸せになれない、と言っている訳でもありません。

富は一要素であり、其処へのプロセスは背景であり、
幸せの絶対条件は、自分には価値が有る、という感じ方の有無です。


その親が金持ちか否か、に関わらず、
「あなたには、そのままで価値が有る」というメッセージを送り続ける親は、
巨万の富よりもずっと大切な贈り物を子供に与えます。

そのメッセージを受け取った子供は、降りかかる出来事や他者の言動に左右されない、自分には価値が有る、という感じ方を身に着けます。

自分には価値が有る、という感じ方は、
幸せの絶対条件であり、
幸せを感じ取る能力であり、
幸せへの切符、なのです。


そのメッセージの送り方、テクニックなどはありません。

唯一の方法は、親自身が自分の価値に疑問を持たない豊かな心の持ち主で居る事、です。

人は自分を尊ぶレベルまでしか、我が子を含む他者を尊ぶ事が出来ません。

自分を尊重する程度までしか、我が子を含む他者を尊重する事が出来ません。

ですから、幼い子供を持つお母さんは、ヒリヒリとした悲壮感を持って子供に子育てのテクニックを使うのでは無く、

自分自身に優しくする事です。

自分に優しく出来た分だけ、子供は優しさを受け取ります。

自分を愛した分だけ、子供は愛を受け取ります。

自分の価値を認めた分だけ、子供は自分に価値を見い出します。

自分には価値が有る、という感じ方は、

幸せの絶対条件であり、

幸せを感じ取る能力であり、

幸せ行きの切符です。


「あなたは、そのままで価値が有る」

というメッセージを送り続けて欲しく思います。

それが、母から子への、

最高の贈り物、なのです。



読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム






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