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最も怖かったものは、もはや幻影に過ぎない
私達人間は、生まれた時は徹底的に無力な存在です。
生まれてから一年近くもの長きに渡り、自分の脚で立つ事すら出来ないのは、この世に生きとし生ける物の中で、唯一人間だけです。
種によっては、生まれて直ぐに立ち上がる生物さえ在ります。
人間は徹底的に無力な存在として生まれます。
その徹底的に無力な存在として生まれた人間の赤ん坊に、最初から備わっている能力があります。
それは、親を慕う能力です。
赤ん坊は、親を慕う事で生きる仕組みになっています。
赤ん坊は親を慕って、慕って、慕い尽くします。
何があっても、です。
その慕って止まない小さな存在を、無条件に受け容れる為に、母親に備わっている、筈、のものが、母性です。
母親に新たな小さな生命が宿ってから、十ヶ月余りもの間、母親と赤ん坊は一つです。
その間に、赤ん坊は様々な器官や部位を形造りながら、この世に生まれ落ちる時を待ちます。
母親は日に日に大きくなるお腹や、そのお腹を内側から蹴飛ばす生命の息吹きに我が子を感じ、母性を目覚めさせます。
やがてこの世に生まれ落ちた赤ん坊は、持てる力の全てを使って、母を慕います。
母親は、目覚めた母性で我が子を包みます。
母性は無条件の受け容れです。
子は親を有らん限りの力で慕い、親は無条件に受け容れます。
それが、誕生のプロセスです。
この世に生を受けて、乳幼児期から幼少初期までの期間は、
おそらく人が、純粋な無条件の受け容れを享受する、生涯を通じて唯一の、特別な季節、であると思います。
しかし、その自然なプロセスを踏めない母子は少なくありません。
子は親を慕いますが、無条件に受け容れる事が出来ない母親は、思うよりずっと多い様に感じています。
その時期、慕う我が子を無条件に受け容れる事が出来ない母親は、
自身が無条件に受け容れられる体験をしていない場合が大半だと思っています。
慕い尽くす子供にとって、親から否定され、拒絶され、受け容れてもらえない事は、耐え難い事です。
耐え難い親からの受け容れ拒否によって、子供の心は凍りつき、成長の歩みを停めてしまいます。
成長し、大人になって、親になっても、見た目には立派な大人で、傍目には立派な親であっても、
その人の心は、親から拒否されて凍りついたまま、です。
心は幼児のままなのです。
幼児は、他者を労ったり、慮ったり、思いやったり、ということが出来ません。
つまり、他者を他者として尊重する事が出来ない極めて独りよがりな世界が幼児の見ている世界です。
その独りよがりな世界に過ごす事が出来るのが、生まれてから幼少初期までの特別で大切な季節です。
幼児はその季節、独りよがりである事を許される事で、自分に価値を感じる事が出来る様になります。
ただ其処に居るだけで、自分には価値が有る、と感じる事が出来る様になります。
自分は、有価値である、と感じる事が出来る状態は、心の成長に欠く事が出来ない、その人の心の基礎と言えます。
無条件に受け容れられる経験が無い人は、心の基礎が不完全です。
基礎が不完全であれば、心は成長する事が出来ず、
身体は成長しても、心は幼いまま、未成熟なまま、なのです。
未成熟な心は、先に述べた様に、労う事、慮る事、思いやる事が出来ない、極めて独りよがりな状態です。
その状態のまま親になると、当然の事ながら、我が子を無条件に受け容れる事は出来ません。
お腹に我が子を宿す十ヶ月余りに、目覚める筈の母性、は眠ったままになってしまいます。
心が未成熟で、母性を目覚めさせる事が出来ない母親は、
幼児が見る独りよがりな世界を見ています。
すると、全身全霊で慕い尽くす我が子の姿を、絶対服従の無抵抗な弱者と見誤ってしまうのです。
未成熟な心のまま、親になる年齢まで生き抜く事の苦しさは、決して小さくありません。
未成熟な親は、その苦しみから逃れたいのです。
そんな時に、我が子と出会い、
何があっても自分を慕って止まない健気な姿を、絶対服従、無抵抗の弱者と見誤ってしまいます。
未成熟な親は、我が子を、自分が苦しみから目を逸らす為の道具、と見做します。
本当は、自分が抱えてしまった苦しみは、自分でしっかりと見据え、自分の中で解決すべき事です。
けれども、未成熟なその親は、怖いのです。
無条件に受け容れられるべき幼少初期、自分はとても弱い存在であり、受け容れを拒んだ親は、圧倒的に強い存在だったのです。
弱い存在は、受け容れられるしか生き抜く術はありません。
弱い存在に唯一与えられた能力は、親を慕い尽くす能力です。
だから、全身全霊で慕います。
しかし、親は受け容れを拒みます。
その生きる道を断たれる恐怖が、心を凍りつかせ、心は未成熟なまま、成長の歩みを停めてしまったのです。
述べた様に、心が未成熟な親は、子供の心の成長を阻みますから、
子供もやがて未成熟な心のまま、親になります。
機能不全家庭が連鎖します。
子供は親の独りよがりな幼児的世界に取り込まれますから、
その世界がどんなに自分を苦しめる世界であっても、
その世界しか知らない子供は、逃れ様が無いばかりか、気がつく事さえ容易ではありません。
また、気がつきそうになっても、生きる事を絶たれる幼い頃の恐怖が、気がつく事から目を背けさせます。
恐怖は、真実を見る事を邪魔しますが、
成長した今、既に無力な幼児ではありません。
幼い頃は、恐怖は本物だったかも知れませんが、
最早無力では無い自分にとって、恐怖は過ぎ去った過去の記憶でしかありません。
最も怖いと思っていたものは、
今日まで生き抜いた事で、幻影に変わったのです。
恐れず、正面から見据えて欲しく思います。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム