困った人になる覚悟
生きづらい人にとって、覚悟を固める、という事は易しくありません。
というのも、覚悟を固める、のには、覚悟を固める、主体、である、確かな【自分】という意識、が育っていないと難しいから、です。
生きづらい人は、例外無く心に【自分】が育っていません。
【自分】が育っていない事が、生きづらさである、と言い切っても構わないぐらいです。
それ程重要な事です。
【自分】が育っていないのは、その人の親が、子供を尊重する事が出来ない人だったから、です。
心理的に未成熟で、親自身が【自分】が無く、自分は無価値だ、という思い込みを抱えた人だったから、です。
その親は子供を、自分が抱える無価値感から目を背ける道具として、利用します。
その親にとって、子供は道具なのですから、一人の人間として尊重する事は無く、子供を所有物として認識します。
子供は自分の感情の全てを心の奥底に閉じ込めて、
泣きたくても、親が望めば笑い、
はしゃぎたくても、親が望めば大人しい子になって見せます。
自分の感情を殺して、親の感情や要求を優先します。
幼い子供は言うまでも無く、家庭内に於いて弱者です。
弱者であるから、親に譲り続ける事で過酷な親子関係を生き抜きます。
ここ一日二日の事ではありません。
生まれてからずっと、親に譲って生きたのです。
だから、その人にとっては、自分の感情は閉じ込めて当たり前のもの、
もっと言うなら、軽んじて構わないもの、になってしまいます。
生まれてからずっと自分の感情を軽んじて生きたその人は、
学校に行っても、社会に出ても、自分の感情を軽んじて、他者の感情や要求を優先する心の構えが出来上がっています。
親や他者に譲ってばかりのその人は、心に【自分】が育っていません。
自分はこうしたい、という事が分からなくなっています。
先に、【自分】が育っていない事が生きづらさだ、と言いました。
生きづらさに気がついて、生きづらさを手放そうと思うなら、
心の中の【自分】を育てなくてはなりません。
その時、これまで自分の感情を心の奥底に閉じ込める事が当たり前だった人は、
自分の感情を優先させる事が、悪い事の様に感じてしまいます。
かつて親に譲った様に、学校に行っても、社会に出ても、他者に譲ってしまいます。
その人は、【自分】が育っていないので、覚悟を固める事が苦手です。
苦手と言うより殆ど、覚悟を固める事が出来ません。
しかし、生きづらさを手放すには、【自分】がどうしても必要です。
無理を道理に変える様な事を言いますが、
【自分】を優先する癖を無理やりにでもつける事が、【自分】を見つけ出す効果的な方法だと思っています。
譲る事が当たり前だったその人は、自分の感情を優先したら、何かとんでもない事が起きる様に感じてしまいます。
親がかつて、その人が感情を優先する事を悪とし、責めたからそうなったのです。
親がその人に、自分の感情を優先したら大変な事が起きるという、脅し、を擦り込んだからです。
本当は、その人が自分の感情を優先しても、親が擦り込んだ様な恐ろしい事は起こらないのです。
それでも、その人は恐れます。
大変な事が起きる、と恐れ、
この人から嫌われる、と恐れ、
どうしても他者を優先します。
冒頭に述べた様に、生きづらい人は覚悟を固める事が出来ません。
しかし、無理を道理にして欲しいのです。
つまり、無理やりにでも、覚悟を固めて欲しいのです。
その覚悟とは、
困った人だと思われても構わない、という覚悟です。
そもそも、自分の感情を見つける事が苦手な筈です。
自分が、本当は何が好きで何が嫌いか、
本当は何がしたくて何をしたくないのか、
怒りたいのか、笑いたいのか、わからないかも知れません。
もっと言うなら、何がわからないのかすらわからない人は、沢山居ます。
自分の感情を選んでいるつもりで、他者が望む感情を表現している場合がとても多いことと思います。
間違っても構わないのです。
数を撃てば当たります。
間違っても、間違わなくても、どの感情を選んでも、
世の中がひっくり返る様な大事には至りません。
取り返しがつかない様な事態には、ほぼほぼ陥ったりはしません。
せいぜい誰かから、困った人、だと思われる程度です。
だから、確かな【自分】という意識、を育て、生きづらさを手放す為に、
困った人だと思われる覚悟、を固めて欲しいのです。
湧き上がる自然な感情を閉じ込めて、他者の感情や要求を優先する様に、仕向けたのは親です。
仕向けた理由は、親の人生に呑み込んで、自身が抱える無価値感から目を背ける為の道具にするには、
子供が自分として自分の人生を歩むことを、どうしても阻止しなくてはならなかったから、です。
だから感情を放棄する様に図ったのです。
だから他者の感情を優先する様に仕向けたのです。
生きづらさを手放す事を望むなら、
自分の感情を優先する事を、数多く体験して欲しいのです。
「他者から、困った人だと思われても、構わない、嫌われたって構わない、何故なら、もう自分を蔑ろにしないと決めたから」
そう宣言し、
覚悟を固めて欲しく思います。
恐れる事は起こらないばかりか、
それが自分として歩む、
自分の人生の始まりに直結します。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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