ネガティブ感情で乗り切るには、人生は余りにも長過ぎる
突き刺すリリックを切り裂くビートに乗せて、聴く者の魂を揺さぶったロックミュージシャンが、
後年、愛と平和の言葉を柔らかなメロディーに寄り添わせる様になり、
牙を抜かれた、丸くなった、などと評され、表舞台から姿を消す、と言ったことは、
ミュージックシーンではよく有ることです。
古いロック好きの間で知られる27クラブ(The 27 Club)は、27歳という若さでこの世を去った著名なロックミュージシャンが沢山居た為、そう言われる様になりました。
ジミ・ヘンドリクス、ブライアン・ジョーンズ、ジャニス・ジョップリン、ジム・モリソン、カート・コバーン、
挙げれば、まだまだ沢山27クラブのメンバーは居ます。
丸くなったにしろ、この世を去ったにしろ、鋭く尖ったままで、永く居続ける事は、とても難しいのだと思います。
分かり易い例として、音楽を取り上げましたが、美術、文学、芸能、など感性を研ぎ澄ます必要性の高い分野は特に、
内面の痛みを表現に替える部分がどうしても有る様に思います。
その意味に於いては、創作や表現と、心地よい今を生きる事とは、トレードオフの関係性である側面は否めない、と思うのです。
創作や表現を支える研ぎ澄まされた感性を維持する為に、ネガティブに浸り込む若き才能は、どうしても早咲きで、その花を散らすのも早い、という事なのかも知れません。
牧歌的なぽかぽかとした、あたたかさにも魅力は勿論有りますが、
ヒットチャートや芸能を支えたり、文学や芸術に感銘を受けたりする年齢層は、若い世代が圧倒的に多いのです。
どうして若い世代が多いのかというと、心が、
良く言えば、柔軟で感受性が強いから、と言えますし、
悪く言えば、心が未熟であり、不安定であるから、
という事が出来ます。
27クラブの面々は、
27歳辺りは、純然たる若者という定義に当てはまる、枠ギリギリの年齢であり、
ヒットチャートを支える若者の代弁者としての役割を全うする事への限界を感じたであろう事は、大きな苦しみを生んだと推察出来ます。
自らの心の成長や、変化に伴って、内面から湧き上がる訴えたい事、伝えたい事、叫びたい事が変わってしまうのは自然な事ですが、
一旦、若者の代弁者やカリスマに、祀り上げられたなら、自然な変化は受け入れられない側面は強いと思います。
ポジティブは良い事、ネガティブは悪い事、と捉える方は少なく無い様に思いますが、
人はポジティブの数だけのネガティブを持っています。
人の感情が一枚のコインならば、ポジティブ、ネガティブ、は一枚のコインの表と裏です。
ポジティブな感情は、嬉しい、楽しい、好き、などに代表される様に、その感情に満たされる事は、ストレートに幸福感をもたらします。
ネガティブな感情は、怒り、悲しみ、寂しさ、といった重たい感情であり、満たされると気分は沈みます。
しかし、ポジティブ感情がもたらすストレートな幸福感とは違った魅力がネガティブ感情には有ります。
ネガティブ感情には、浸り込む事で何処までも没入出来る、耽美的な、魔力にも似た魅力が有ります。
たとえば、大失恋をして、部屋に戻って、灯りも点けずに聴く曲は、傷ついた心に追い打ちをかける様な、悲しいメロディーだったりします。
その状態は、浸り込むことでネガティブの魅力を堪能しています。
ネガティブの重たさを感じますが、同時にネガティブから報酬を受け取っているのです。
たとえば、野球部で同じサードのポジションを争うライバルのアイツにだけには負けたく無い、と思い、練習に明け暮れながら、
ライバルのエラーを願います。
ライバルが三振する事を祈ります。
そして、祈りが通じたのかライバルがエラーをした試合で、自分が活躍してレギュラーの座を掴み取ります。
アイツにだけは負けたく無い、という思いも、ライバルのエラーを願う感情も、ネガティブ感情です。
その感情が起爆剤となって打ち込む練習を支えるのもネガティブ感情です。
その感情を支えにした活躍はネガティブの報酬です。
ネガティブ感情の破壊力は絶大です。
ライバルを蹴落としたり、勝負事に勝ったり、とネガティブパワーを使って物事を打開する局面は沢山あります。
勝負師はネガティブパワーの使い手ですし、追い詰められた時の、火事場の馬鹿力、もネガティブパワーです。
イソップ寓話の「北風と太陽」の、旅人の外套を吹き飛ばそうとする、北風が吹かせた突風はネガティブパワーで、
凍えた旅人を暖めて、外套を脱がせようとした太陽は、ポジティブパワーを使っています。
ネガティブが秘めるパワーは絶大です。
しかし、ネガティブは重いのです。
沈みます。
ネガティブ感情は星の数有りますが、主だった感情を思い浮かべても、
怒り、悲しみ、寂しさ、怖さ、罪悪感、無価値感、などなど、
どれも、永く感じ続けるには相応しくない感情だと思うのです。
人生は、ネガティブに浸り込み続けるには、長すぎると思います。
浸り込んだなら人生は、余りにも苦しいものになってしまいます。
時代を駆け抜けて、流れ星の様に消えてゆく人生を創りたいならば、
ネガティブ感情に長く浸り込む事も、アリ、なのかも知れませんが、
仮に、ネガティブのパワーを使って優れた芸術作品を作り続けたアーティストが居たとして、
地位も名誉も財産も手に入れたその人の人生が、心軽やかで豊かだったかは、また別の話しです。
牙を抜かれたと評されたロックスターは、表舞台から姿を消しても、後年ネガティブに浸り込む事を止め、軽やかに生きているかも知れません。
27クラブのミュージシャンは、ネガティブパワーを使う事を止めたら、今も愛と平和を唄っていたかも知れません。
ネガティブには破壊力があり、魔力にも似た耽美的な魅力が有ります。
しかし、怒り、悲しみ、寂しさ、といったネガティブに彩られた人生は、苦し過ぎます。
生きづらさに気がついて、生きづらさを手放したいと口にして尚、生きづらさを手放せない人は、
ネガティブからの報酬をもらう事が、軽やかに生きるよりも大切なのです。
自分が自分である事を諦めれば、生きづらい代わりに、
親思いの優しい子で居られます。
本当は抑えきれない程怒っています。
親が居るから独りではありません。
だったら何故いつも寂しいのでしょうか。
親のせいだから自分に責任はありません。
幼い時から自分のせいでも無い事の責任を追及されて生きた筈です。
親が居るから、私には辛うじて価値がある。
無価値であると擦り込んだのは誰ですか。
親が守ってくれる筈。
守ってくれたなら、どうして今、生きづらいんですか。
生きづらさに気がついて、生きづらさを手放したいと口にしながら、生きづらさを手放せない人は、
手放せない、のでは無く、手放そうとしていない、のです。
ネガティブに飽きていない、のです。
ネガティブの報酬が欲しい、のです。
ネガティブにしがみついているのです。
生きづらさを手放したい、は意識から出た声です。
嘘ではありません。
しかし、無意識の領域では、生きづらさにしがみついている、のです。
どう生きるか、は人其々、その人の自由です。
生き方に、善悪、正誤、優劣はありません。
ポジティブに軽やかに生きるのも、
ネガティブに浸り込んで生きるのも、
自由です。
しかし、言えるのは、
ネガティブに浸り込んで生きるには、
人生は余りにも長すぎます。
読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。
伴走者ノゾム
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